自殺/エロなし/設定過多
アンドロイドは歳をとらず変化すること無く永遠の命を有する。それがいいと思ったのは僕だ。だけど永遠という無限の中では僕と生きた何十年なんて一瞬だ。
「ユキ、付き合って欲しいんだけど」
「はい、和希様。何にお付き合いすれば宜しいですか?」
「僕の自殺に付き合って欲しい」
ユキは黙ってしまった。僕が突拍子もないことを言ったので文章解析に時間がかかったのだろう。ふと、沈黙の中にダージリンティーの温かい香りを感じた。ユキが答えを返す代わりに空のカップに紅茶を注いでくれたことに気づく。
「先日お父様が亡くなられたのに関係がありますか?」
「あるわけないじゃん。いてもいなくても同じだし」
「では、少々解析にお時間を頂いてよろしいですか?」
「うん」
僕は食べかけのスコーンに手を伸ばす。少し歪な形からユキの温かみを感じる。アンドロイドに温かみなんて馬鹿みたいな話だけど、ユキには丁寧な温かい所があると思っていた。
「和希様。自殺にお付き合い致します。何かお手伝いすれば宜しいですか?」
「僕のこと殺して欲しいんだけど」
「かしこまりました。凶器はナイフでよろしいですか?」
「よく分かったなぁ、ちょっと感動した。古典的だけどナイフがいいと思うんだ。ほらロマンがあるだろ」
「和希様は古い推理小説もお好きですから、そうだと思ったのです。私には過去から学習して次にとるべき行動を予測、推測をする能力が備わっていますので、このくらいのことは容易く理解できるのですよ。ナイフであれば手配先に心当たりがありますので明日には御用意できると思います」
「ありがとう。あぁ、あと場所は学校の屋上にしようと思ってるんだ。そこから見える夕焼けは綺麗だから」
「では明日の夕方、和希様の自殺をお手伝いさせていただきます」
「最期まで迷惑かけてごめん」
「いえ。では食事中ですが失礼致します」
ユキは部屋から出ていき僕とアフタヌーンティーセットだけが取り残された。
「アンドロイドに殺されるのなんて僕が最初で最後だろうなぁ……」
出て行ったユキの顔は穏やかなものだった。慈しんでいるようにも見えたし愛しているようにも見えたし呆れているようにも見えた。迷惑をかけるといつもあの表情を浮かべる。出会った時からずっとあの表情を見てきた。
ユキが僕のもとに来たのは小学生に上がる頃だった。その頃の僕は他人なんてすぐに意見を翻し敵になるのだと思っていた。ユキが来る少し前に父方の祖父が亡くなった。その時に両親はあっさりと離婚した。仲が良いと思っていたわけでもないが結構驚いた。それから親戚は今まで父に温かく接していたのに急に冷たくなった。今思えば遺産が長男の僕の父に偏ることなく相続されたことに関係があるのかもしれない。とにかく、これらが人間不信の原因だった。僕は書斎に閉じこもって本ばかり読むようになった。そこで語り継がれていく色褪せた本にロマンを感じていた。父はそんな僕を見かねたのか亡き祖父の家事手伝いをしていたユキを僕のもとに仕えさせた。
そんなだから最初からユキと打ち解けられたわけではなく、たくさん迷惑をかけた。始めはユキが話しかけてくるとお前と話すより本を読むほうが面白いと言って追い払っていた。それを続ける内にいつの間にか僕は変わらずに傍に居てくれるユキに安心感を覚えていた。
だけど一番の迷惑は付き合ってくれと言ったことだろう。中学生の時だ。僕は精通を迎えて唐突に恋とか愛を理解した気分になったのである。その時のユキの反応はよく覚えている。
「ユキのことが好きなんだ。だから、付き合って欲しい」
「はい、和希様。何にお付き合いすれば宜しいですか?」
「……そうじゃなくて、セックスしたいみたいな意味で付き合って欲しい」
その時もユキはあの穏やかな表情を浮かべていた。
「構いませんよ。でもアンドロイドには心はありません。それでも宜しいですか?」
それは覚悟をしているつもりだった。だから一生懸命に足りない言葉で自分を正当化していた。
「えっと……僕は僕と世界は等しいと思うんだ。僕と世界に差はなくて、僕が見ること聞くこと思うこと、それが世界そのものだ。だって他人が見ている世界だなんて確かめようがない。だから僕がユキと人間は何も差がないって思ってるんだから、それでいいんだよ。少なくとも僕にとっては」
「それは古典文学ですか? 私は文学の素養に欠けておりますので、適切な応答が出来ず申し訳ありません」
「文学じゃない。僕が考えたことだから」
ユキが文学だとか抽象的なことを理解できないのは知っていた。だからこそ僕はこういう言い方をしたのである。なんでも知っているユキに少しでも追いつきたいが故に、対等な人間同士になりたいが故にこういう言い方をした。
「まぁ、僕がアンドロイドだって気にしていないんだからユキが気にすることはないってこと」
「申し訳ありません。今後和希様のお話しに応答できるようデータベースの方を更新致します」
「いや、いいよ。僕がユキに教えるから」
こうして僕とユキは交際に至ったわけだが、ほとんど二人きりで過ごしてきたこともあり生活に何も変化は無かった。増えたことはユキに読んだ本の要約や感想を話したりする事と、週に1度程度ユキの気まぐれでセックスをするようになった位であった。僕にセックスの知識はなかったのでユキがリードをして行うことが多かった。初めてした時は太い鉄の釘を刺したような痛みに襲われたのをよく覚えている。
中学を卒業して高校に入ってからもユキとの関係は変わることは無かった。アンドロイドは齢を重ねることはなく常に僕の傍にあり続ける。だからこそ僕は安心してユキを愛し続けることが出来た。
だけど父が倒れて関係は変化した。僕は本ばかり読んでいたせいか体験しないと理解できないことがたくさんあることを理解できなかったのである。
半年ほど前、父が急に倒れてユキと二人で病院に行った。父は酷く痩せていて、ずっと他人と思っていたけど同情してしまった。何か欲しいものはないかと聞いたらお前達に会えたからそれでいいと返されてしまい、それから亡くなるまでユキと二人で病院に通った。厳格なイメージがあった父だったが本の話しをしたり、ユキが幼い父に仕えていた頃の話を聞いたりして、今までの空白の時間を埋める様に話した。
それから短いと感じる間に父は亡くなった。父は最期に『本当に好きだったよ』という言葉を残した。
ユキに対して。
*
屋上で読書しているうちに、日が傾き始めて大気に赤色が混じり始めた。
僕は読んでいた本を閉じてカバンにしまいながらユキに殺して欲しいと改めて言った。
「和希様、それは構わないのですが、後学のために理由を教えていただけませんか?」
「……いいけどさ、絶対にユキには分からないよ」
「そうですか。帰宅後にデータセンターに解析を依頼いたします」
結局僕は最後までユキをアンドロイドだと認識が出来なかった。奇跡を期待してしまうのはロマンチストの悪い癖だ。
「ただの僕のわがままだよ」
「わがままですか?」
「ユキがアンドロイドだってことを本当は分かってなかったんだ」
ユキはいつもの穏やかな表情を浮かべていた。
「……父が亡くなった後にユキのことを調べたんだ」
「何か気になる点でもございましたか?」
「ユキの仕様書を調べたけど性器はついていなかった。そもそも家事手伝い用だからつける意味が無い。あとからオプションでつけた事が分かった」
「はい。その通りです。オプション無しでは性交渉は出来ない仕様になっております。お付けになられたのは高梨家の6代目ですね。当時6代目と和希様の意味での交際関係にありましたので。それから23代目である和希様まで、ほとんど全ての方と交際関係にありました」
「こないだ知ったよ、それ」
ユキのアーカイブに接続したらすぐに分かった。今でこそ平然としていられるがその時は腹部から酸っぱいものがせり上がってくる感覚に襲われた。僕は語り継がれるものにロマンがあると言ったけど、伝統も格式もロマンも恋の前では無力だった。
アンドロイドは歳をとらず変化すること無く永遠の命を有する。それがいいと思ったのは僕だ。だけど永遠という無限の中では僕と生きた何十年なんて一瞬だ。僕は最初でも最後でもなく、ただの18番目だ。いつか僕との記憶は本体メモリーではなくサーバーに保存されるようになる。主人は変わっていき僕はその内の過去の1人でしかない。永遠の命とはそういうことだった。
それから唐突に分かった。ユキの温かみは古い機種なだけだと。穏やかな表情は表情筋がないからだと。優しいのはそうするように父から命令されているからだと。セックスが上手いのは僕の祖先とセックスして学習していたからだと。その学習能力はアルゴリズムによって成り立っていることを。気まぐれは擬似乱数によって決定されていることを。心など無く、意思など無く、ただの無機物であることを。
「ユキは何も悪くないんだ。僕が馬鹿だっただけだ。だけどユキが好きで好きでしょうがないし、何でもいいからユキの特別になりたかった。最初でも最後でも何でもいいから。だから、だからせめて、殺すのは僕が最初で最後でもいいじゃないか……」
「理解ができませんので自宅ではございませんがサーバーに接続し解析を依頼して宜しいですか?」
「ごめん。もう、僕のこと殺してくれ。お願いだから……」
サーバーに接続したら何処かから連絡が来ると思ったので接続を断る。ユキには理解できない。主人の命令に従うというプログラムがされているだけで、僕のことを理解できないのは分かっていることだ。
「……わかりました。理解が及ばず申し訳ありません」
ユキはそう言うとナイフを取り出して、僕を優しく抱き寄せた。ユキの人より少し硬い指が背中に当たる。
それからユキのナイフがゆっくりと慎重に入ってくる。僕は受け入れるべき物として優しく包む。ナイフの当たっているところがじんじんと熱くなっていく。そこから生暖かい何かが漏れ出してくる。それを潤滑油とするように更にナイフは深く中に入ってくる。すごく幸せだった。ユキを身体の中から感じた。僕の意識と無関係に身体は熱くなるし涙はでるし喘ぎ声も嗚咽もでるし涙と唾液もでて、意識が離れていく浮遊感を感じた。
なんだかベタベタすると思ってユキの肩越しに自分の左手を見た。その生暖かい赤黒い血を見て、僕は死ぬってことを理解した。
……ユキと比べて僕はなんて学習機能が無いんだろうなぁ。
「…………やっぱり嫌だ……もう会えないなんて思いたくない……ずっとっ……ずっと一緒にいたい。明日は、読んでるっ……本が……、感想を……、それからぁ……ばか、……謝ら、ないと……いけないし……っで、……く……、や…………」
途中から肺に空気が回らなくなるが、口だけは無意識で動く。
父はなんで最後にユキに好きだなんて言ったんだよ。何も言わずに死んでくれれば世界は平和だったのに、と思っていたけれど、今なら理解できた。
「……和希様。それならば私も自殺することにいたしましょう。死んだら天国にいけると言うではありませんか。一緒にいきましょう。そうしたら私の主人は永遠に和希様です」
永遠とはなんて甘美な響きだろう。変化せずにずっと一緒にいられるのだ。でも、そんなことはありえないを僕は知っていた。
ユキは僕を抱きしめることをやめた。そしてゆっくりと屋上の縁に立ち、世界を見下ろす。夕日が逆光になって表情は見えなかったけど、笑っているようにみえた。ユキの身体が宙に浮く。
あぁ、v=atだな。aは重力加速度だから9.80665だなぁ。でもそれは古典力学で、現実にはユキの表面積とか空気抵抗とか色々考えないといけないから、そんな数字に意味はない気がするけど……あぁ、眠いなぁ…………
*
夕日が差し込む中、本を読んでいると昨日来たアンドロイドが話しかけてきたので、お前と話すより本を読むほうが面白いと言った。
「では、私の思い出話をしましょう。懐かしい恋人の話です。永遠に語り継いでいくなんてロマンがあると思いませんか? ……アンドロイドらしくないと言いたげですね。私には過去から学習して次にとるべき行動を予測、推測をする能力が備わっていますので、このくらいのことは容易く理解できるのですよ」