エロなし/純愛
けれど、ユキは気づいてしまった。さっきユキを抱きしめた時、和希は胸元にアザを作っていた。それは・・・鋼でできたユキの体のせいだった。
生まれたのが工場みたいな無機質な所だったから、僕は家庭という所に憧れを持ちすぎていたのかもしれない。
だから初めて、家事手伝い用アンドロイドとして高梨の家に訪れた時、正直少し驚いたんだ。僕と同じくらいの男の子が、薄暗いゴミだめの部屋で一人佇んでいたから。
よく見るとその子の足の指は青く腫れあがっていて、僕は恐る恐るそれに触れた。
すると、その子は顔を上げ
「まるで天使の羽が触れたみたいだ」
と、はにかむ様に笑った。
僕はその時思ったんだ。
もう二度と君を、誰からも傷つけられない様に守りたいってー
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「おい和希。また脱ぎっぱなし」
ユキは盛大にため息をつくと、ソファーの前に散らばった靴下を拾い上げた。和希は学校から帰ると、真っ先に靴下を脱ぐ。しかもまた裏返しだ。いつもちゃんと表側にしてから脱げって言っているのに。
「うめえ。やっぱユキのマドレーヌが一番だな。」
ユキの小言など意に介さず、和希はソファーに仰向けになりながら、ワイシャツの上にこぼれたマドレーヌを一つ一つ摘まんでは口に入れている。下を向くと、少しクセのある明るめの前髪と長いまつ毛がゆれ、筋の通った鼻梁がむきだしになる。その瞬間、埋め込まれたユキの心臓があり得ない速さで回転し始めた。
まずい、まただー
些細なことで早くなる心臓は最近のユキの悩みの種だった。そしてそれはほぼ和希に原因があると思う。和希は昔から、非常にユキに懐いているというか―甘い。そして、最近それがエスカレートしている気がする。
「おい、聞いてんの?」
「・・・は、え?」
ぼんやりしていたユキのすぐそばに和希の顔があったので、ユキは思わず仰け反ったが、身動きが取れない。後ろのローテーブルに両手をつき、ユキを囲むように和希が座っていたからだった。
「ばっ、ち、近い!」
「さっきから呼んでんのに、気付かないユキが悪い」
和希はふて腐れた様に言うと、ユキのストレートの髪を少し摘まんでパラパラと梳いた。
でた!人タラシ~!
ユキは心の中で盛大に叫んだ。そもそも和希の父親が相当タラシだったらしいので、ある意味血だ。と、ユキは思う。しかし、父親への逆恨みから母親に叩かれていた和希は、それは歓迎できるものでは無いかもしれない。こうやって、学校が終わるとすぐ帰る和希の律儀さは、ほぼ帰ることの無かった父への抵抗心からではないかと思うことがある。
ふいに、あぐらをかいた和希の親指が膝にぶつかり、ユキは目線を落とした。長く伸びた足の指はもう腫れあがっては無いが、所々痛々しく変形している。
「もう、痛くないのか?」
「・・・ああ」
和希の答えにユキはほっと胸をなでおろす。この指を見ると、いつも胸が潰れそうになる。
「ほんとうに、ほんとうだな?」
ユキが上目遣いで和希を睨みつけると、和希はぷっと吹き出した。
「目ん玉落っこちそう」
和希がユキの頬をゆるりと撫でると、その刹那、和希の眼差しが熱を孕んだ。
「もっと近くで見せてー」
いつもより数段甘い声にユキの肩がピクッと震える。それを合図と取った和希は、顔を近づけてきた。息のかかる距離になっても止まらない和希の気配になすすべもなく、ユキはとっさに目をつむった。
ぬるり
生暖かい感覚がユキの鼻の頭をかすめた。
おそるおそる目を開けると、鼻先にバターの混じった甘い匂いがしたので、とっさに鼻を舐められたのだと理解する。
「お、おま、おまえなあ!」
「やらし-。ユキって迫られれば、簡単に目とかつむっちゃうんだ」
「ち!ちが・・っ!あれは!びっくりしてっ!」
ユキが慌てふためいて立ち上がろうとすると、下からギュッと手を引かれた。振り返ると、和希がユキの手首を持ったままうなだれている。
「じゃあ、さ、今度は本気のチューしてみる?」
今度こそ冗談だろと、軽くあしらえば良かったかもしれない。しかし、ユキはその場で動けなくなった。顔を上げた和希の瞳が、涙がこぼれそうな位潤んでいたから。
「いい?」
和希はユキの返事を聞く間もなく強く腕を引くと、倒れこんだユキの体を抱きしめた。気の遠くなるほどの温かさに、ユキの後頭部の辺りがピリピリと痺れる。本当は頭のどこかで分かっていたのかもしれない。ずっと前から和希の視線に熱が帯びていることも、それに抵抗できない自分の気持ちもー
「ユキ」
名前を呼ばれて顔を上げようとした時、ユキは目を見開いた。和希のワイシャツの胸元が破れて、むき出しになった素肌が青くなっている。
「・・・・っ!」
ユキがとっさに和希の胸をはね退けると、和希はソファーに背中を打ち付けた。
「・・・ってえ」
「ごめ・・・」
ユキは和希に手を差し出そうとしたが、その手を拳にして膝の上に置いた。膝に置いた拳が震える。
「わりい。調子に乗りすぎたわ」
和希はおもむろに立ち上がると、ユキのそばを素通りしてリビングを出ていった。深く傷ついた横顔が、ユキの胸をグッと締め付ける。
けれど、ユキは気づいてしまった。さっきユキを抱きしめた時、和希は胸元にアザを作っていた。
それは・・・鋼でできたユキの体のせいだった。
今までの寄り添うだけの関係なら良かったかもしれない。けれど、それ以上深い関係を望んでしまった今、ユキの体は和希にとって凶器になりかわった。
ユキを抱きしめることで、和希の体に傷がつくーその事実がどうしても受け入れられなかった。
小さい頃、母親に傷つけられていた和希に、痛みの記憶を彷彿させる事などしたくない。もう二度と、誰からも傷つけられない様に守ると誓ったのだ。それが自分自身からだったとしても。
今の今まで、ユキは自分がアンドロイドだったことを忘れていた。それは、和希のユキへ対する愛情の深さを物語っている様で、ユキはまた、胸が締め付けられた。
遠くでTVの音が聞こえて、ユキはテーブルに突っ伏していた体を起こした。どうやら眠ってしまったらしい。窓から差し込んでいた日の光は、いつの間にか深い闇に溶けてしまっている。
ユキはよろよろと立ち上がり、明かりをつけると、ソファーに寝そべりながらテレビを見ている和希が現れた。
「うわっ。帰ってたなら、電気ぐらいつけろよ」
ユキの問いには答えず、和希は見るともなくチャンネルを変える。ユキはどことなく気まずくて、いつも通り振舞おうとした。
「メシは?今日はカレーのつもりだったから、温めればすぐ・・・」
チラリと和希を見やった時、ユキは変な違和感を覚えた。外から帰った和希が、まだ靴下を履いている。そして足元をよく見ると、和希は裏返しのまま靴下を履いていた。
「どこ行ってたの?」
怪訝そうなユキの声に、和希の足がぴくりと動いた。その瞬間、さっと足を隠そうとした様子をユキは見逃さなかった。
「なあ!もしかしてケガでもしたのか?」
「ちげえよ」
「ちがくないだろ?今隠そうとしたろ!?」
ユキの剣幕に和希は一瞬たじろいだ。その瞬間、ユキは和希の上に覆いかぶさり、和希の両足を自分の片腕で胸に抱え込むようにすると、もう片方の手で和希の靴下を剥ぎ取った。
「いってえ。バカ力!」
和希にみぞおちを蹴られて吹っ飛ばされたユキは、床に尻もちをついた。しかしすぐ立ち上がり、懸命に和希の足首を掴もうとした瞬間、目を見開いた。和希の足の指には真っ赤なペディキュアが施されていた。
「な・・に?これ・・」
和希はバツが悪そうに頭をかくと、ユキから顔を背けた。
「コンビニでクラスの女どもに会ってさ。暇だからブラブラしてるって言ったら、じゃあみんなで家飲みしよーみたい になって・・・したらすぐ酔っ払って、そのまま寝ちゃってさ。それで、まあ、気づいたらってカンジ」
「何それ」
「案外似合うだろ-。アイツら俺の足の指がキモイから、可愛くしといたとか言いやがったけど」
ユキは頭を垂れると、唇をギュッと噛みしめた。和希の足の甲に、降り始めの雨の様な雫が落ちる。ユキは慌てて目を拭ったが止まるはずもなく、それはいつしか大粒になって、和希の足をしとどに濡らした。
「お前が泣くこと、ね―じゃん」
ポツリと和希が呟いた。
頭に沢山の言葉が浮かぶのに、喉の奥が熱くて、言葉に詰まる。
ユキはふいに、和希の片方の足を両手でそっと包み込み、そこへ顔を近づけた。
愛しいと思うのに。和希の全てが。こんなにも心が震えるほどに。
ユキはたまらなくなって、和希の足の指一本一本に、丁寧にキスをした。
伝われ。伝われ。そう願いを込めてー
すると、突如頭をわしづかみされたと思うと、物凄い勢いで、かき混ぜられた。
目を白黒させたユキは、おずおずと顔を上げると、首筋まで赤く染まった和希の顔と目が合った。
「お前、お人よしも大概にしろよ」
言葉の真意が分からず、ユキは首を傾げる。
「いいのかよ。オレまたつけこむよ?お前が拒んでも、今度は無理やりキスするよ?」
真っ赤な顔とは裏腹に、劣情を孕んだ熱の籠った瞳に射抜かれた。身動きできないでいると、和希がユキの腕を掴んで、自分の方に引っ張り上げた。
「ユキが好きなんだよ!もう、自分でもどうしようもないくらい」
切羽詰まった和希の告白に、ユキはめまいがしそうになった。喉がカラカラになる。本音を吐き出してしまいたい衝動に駆られる。ユキは自分の口を両手で押さえた。
けれど、和希はそれを許さなかった。和希はユキの両手首を優しく掴み、ユキの口からその手を離した。
「ユキの気持ち、聞かせて」
ユキは俯いたまま首を横に振った。
「俺、聞くからさ。どんな答えでも俺、ちゃんと聞くから・・だから!」
締め上げられた熱い手首。耳の奥まで鳴り響く和希の震えた声。
限界だった。ユキが答えない選択肢はもう、どこにも無かった。
ユキは観念して、出ない声を振り絞った。
「僕は人間じゃないから・・・僕に触れると、お前に傷がついてしまって・・さっきも、それで・・・僕はそれがどう しても嫌で・・・だってお前は昔、死にそうなぐらい辛い想いしてきて・・・それをまた思い出させたくな・・・」
ユキの支離滅裂の独白を遮る様に、和希はユキを抱きしめた。
「は、離せ・・離せっ!」
ユキは必死で引き離そうとしたが、和希はびくともせず、その腕にますます力を込める。
「嫌だ。死んでも離さない。ていうか、死なない。俺はそんなことで死んだりしない」
ユキの頭の上に顎を乗せた和希が、ふっと笑ったのが振動で伝わった。
「お前を抱きしめる度に跡がつくなんて、すげえサイコ-じゃね?」
その言葉に、ユキはまた暴れだす。
「嫌だ。僕は見たくない!お前のそんな姿!嫌・・・」
左右に振るユキの顔を、和希が両手で包んで押さえつけると、その顔を上に向けた。
「悪いけど、お前の自己満につきあえるほど、俺の気持ちは軽くない」
そこにあったのは、ふて腐れたいつもの和希の顔だった。
「ユキが人間じゃないとか、俺の過去とか、そんなのとっくに忘れてた」
和希は目を細めると、愛おしそうにユキの髪を梳いた。
「そう思えるくらいの時間を、俺たちは一緒に過ごしてきたんじゃないのか?」
和希の言葉に、押さえていた気持ちが溢れ出す。ユキは大きくしゃくり上げると、和希の腕の中で、大声で泣いた。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦ ♦
「・・・落ち着いた?」
和希の言葉に、ユキは恥ずかしそうに頷いた。ユキが泣いている間も、そして今もユキは和希の腕の中に居た。
「俺さ、ホントに今は、母親が再婚して幸せになって良かったと思ってるし、親父には感謝してるんだ。ユキをここへ 連れて来てくれたのは親父だからさ」
ユキは初めて会った日の事を想いだした。きっとユキはあの日から、和希のことが好きだった。
「おれ、下校時間になる少し前さ、玄関開けると香るお菓子の匂いとか、畳まれた洗濯物とか、必ず聞こえるユキの 『お帰り-』の声とか思い出して、すんげ-そわそわするの。んで、チャイムが鳴るとソッコ-走るんだけど、興奮し すぎて、めちゃめちゃ足もつれる・・・」
「はは」
「ユキが居るからだよ。大嫌いだったこの家が、今は大好きになった」
照れ笑いする和希に、愛おしさが込み上げる。ユキはこの思いを伝えたくて、和希の頬に軽く唇を押し当てた。
「僕も、和希が大好きだ」
ユキが潤んだ目で伝えると、和希は耳まで赤くなった。
「本気のチュ-リベンジする?」
和希の熱がうつった顔でユキが頷くと、和希の唇がそっとユキの唇に舞い降りてきた。それは天使の羽の様に柔らかく、ユキの体をじんわりと温かくした。
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