エロなし
「私はマスターのアンドロイドですから。いつか和希さんが独り立ちなさったら、……さよならです」アンドロイドは特殊な状況下を除き人間に嘘を吐けない。
この家の男達はきっと、私が居ないと生きていけない。
「ユキー、俺のブレザーどこ?」
「ユキくん、コーヒーが飲みたいんだが、お湯はどうすれば沸くんだったかな?」
高梨家の朝は騒がしい。
生活能力ゼロの親子が次から次へと問題を起こすからだ。
「あれ?ズボンも無い。なぁーユキ、ズボンは?」
「ユキくん、ユキくん、豆を零してしまったんだが、買い置きはあっただろうか?」
私が朝食の玉子焼きを焼き上げている間に、キッチンの床はコーヒー豆で埋め尽くされた。
「マスター、コーヒーなら私が煎れますから、大人しく座っていて下さい」
これ以上被害が広がらない様にマスターを座らせると、電気ケトルのスイッチを入れた。
お湯が沸くまでの間に散らばった豆を片付けて、新しい豆をミルにかける。
マスターの好みは、砂糖二杯にミルクなし。
猫舌だから火傷しないように少し冷ましてから出すこと。
十年間繰り返した動作は、改めて指示されなくても体に染み着いている。
「マスター、おかわりが欲しいときは呼んで下さい」
「ありがとう、ユキくん」
マスターはどんな些細なことにでも感謝の言葉を忘れない。
眼鏡の奥の大きな瞳を細めて、人の良さそうな笑みを浮かべる姿には、きっと誰もが好感を抱く。
人にもアンドロイドにも分け隔て無く礼節を持って接してくれる、尊敬に値する人間だと思う。
残念ながら生活能力はゼロだけど。
「ユーキーまだぁ?ネクタイもないんだけど」
「はいはい、今行きます」
そして生活能力ゼロは、一人息子にもしっかり遺伝している。
「ちょっと和希さん、下着姿でうろうろしないでください」
「だって~制服がいつものとこにないから」
シャツにボクサーパンツと靴下だけを身につけた何とも情けない格好をしていても、和希さんはかっこいい。
ここ数年の成長期で数十センチ身長を伸ばし、幼い頃から空手で鍛えられた体は、ギリシャ神話の神々を象った彫刻のように美しい。
童顔気味の父親と違い、精悍で艶のあるワイルドながら整った見た目は、女性の熱い視線を常に集めている。
もうすっかり大人の男だ。
見た目、だけなら。
中身はまだまだ手の掛かる、愛しい子供。
「制服はクリーニングから返ってきたのでクローゼットに掛けてあります。ネクタイはまた鞄の中に入れたんじゃないですか?」
私の言葉を聞いた和希は慌てて部屋に戻っていく。
そしてガサゴソ探るような音が聞こえ、暫くするとズボンを履き、ネクタイを締めながら戻ってくる。
「全部ユキが言った場所にあった~」
「あったじゃないでしょう。クローゼットに入れてあることは昨日伝えましたよ。ネクタイに至っては自分で仕舞ったんでしょう?」
そうだっけ?っと惚けながら、和希は尚もネクタイとの格闘を続けている。
何でもそつなく熟すくせに、細かいところで意外に不器用なところが可愛いと思う。
「ほら、貸して下さい。私が結びますから。あっ、シャツのボタンも掛け間違えてる」
ボタンを留め直し、ネクタイを結んでやると、和希は嬉しそうに笑う。
「なんか新婚さんみたいだね~」
「バカなこと言わないで下さい」
こんな時アンドロイドで良かったと思う。
どんなに気持ちをかき乱されても、表面上は普段通りで居られるから。
頬が赤くなることも、心臓の音が聞こえそうなくらい高鳴ることもない。
「バカは酷いな~ユキはイヤなの?俺はユキと新婚さん、嬉しいのに」
「はい、はい、ありがとうございます」
わざと突き放すような返事をするくせに、私の手は自然と寝癖のついた和希の頭を撫でていた。
和希の口から漏れ出る夢のような言葉達が現実だったらいいのにと、夢想する。
そんな自分を振り払うように、目の前の現実に意識を向けた。
「ここ、ハネてますよ。ちゃんと直さないと」
「ユキがやって♪」
頭を撫でる手に、猫のようにすり寄って甘えられたら、断れるはずもない。
甘やかし過ぎれば、後から自分が寂しくなるだけなのに。
「さっさと櫛を持ってきて下さい」
自分を諫めるための溜め息混じりの了承にも、和希は嬉しそうな顔をしてくれる。
慌てたように洗面所に走り出す後ろ姿は、小さな頃と変わらない。
一体いつまでこんな風に甘えてくれるのだろうか。
あと何年こうしていられるだろうか。
母親を亡くした和希のためにこの家に迎えられて十年。
生活能力ゼロのこの家の男達は、きっと私が居ないと生きていけない。
でも本当は、私じゃなきゃいけない理由なんてありはしないのだ。
私より性能の高いアンドロイドはいくらだって存在するし、和希だっていつまでも子供ではいてくれない。
いつか結婚して自分の家庭を作り、この家を去っていく日が来る。
その日を想像するだけで苦しくて、壊れてしまいそうな痛みが私を襲う。
ならばいっそ、そんな日が来る前に壊れてしまいたいとほんの少しだけ思ってしまうのは、弱いからだろうか?
涙を流して行かないでと縋り付けはしないのに、嘘を吐いておめでとうと笑うことは出来る。
そんな自分が悲しい。
もしも私が人間だったなら、好きだから置いていかないで欲しいと、縋り付いて泣くことくらい出来ただろうか?
「ユキ、持ってきたよ~」
ご機嫌な顔で櫛を持って戻ってきた和希の姿に、私の方が嬉しくなってしまう。
椅子に座る和希の髪を優しく梳きながら、幸せを噛みしめる。
この時間が永遠に続けばいいのにと、永遠などないと知りながら願うのは愚かなことだろうか?
「はい、出来ましたよ」
「ありがとう、ユキ」
そう言って浮かべる笑顔は昔とちっとも変わらないのに、和希はどんどん成長していく。
一昨年の終わりについに身長を抜かれ、力も疾うに私より強い。
「和希さんは、大きくなりましたね……」
「ユキはちっとも変わんないね」
「私はアンドロイドですからね」
少しずつ部品が劣化していくだけで、人間の様に成長しないアンドロイドでは追いつけない遠くまで、和希は行ってしまう。
私は和希と同じ時を過ごせはしないのだ。
「きっと直ぐに大人になって、私のことを置いていってしまうんでしょうね……」
整えたばかりの髪を乱さぬように、そっと和希の頭を撫でた。
こんな時間が失われる日が来ることを寂しいと思う。
「何言ってるの?」
別れを惜しむ私とは裏腹に、和希はパチパチと瞬きしながら分からないと首を傾げた。
寂しいのは私だけなのかと思うと悲しくて、でもどこか諦めている自分もいた。
所詮アンドロイドは人間にとって道具なのだから仕方がない。
「俺はユキを置いてどっかに行ったりしないけど?」
「えっ?」
「うん?何で驚いた顔してんの?」
思いもしなかった言葉を告げられ、驚きに頭を撫でる手が止まる。
その手を取った和希は、優しく甲を撫で上げてから、指先にそっとキスをした。
「かっ、和希さん!?」
予想外の事態に情報を処理しきれない。
今、私は、何を、された?
「ユキは俺と離れたいの?」
真っ直ぐな瞳が私を見ていた。
少しの嘘も誤魔化しも許さないというように。
そんな風に見なくたって、アンドロイドは初めから嘘など吐けないのに。
「……離れたくありませんよ」
離れたいはずがない。
こんなに愛しているのに。
造られた機械の体に宿る心に、どれ程の価値があるかは分からないけど。
自由になる私の心の全てで、和希を愛している。
「ならずっと一緒にいてよ」
「無理ですよ」
「どうして?」
「私はマスターのアンドロイドですから。いつか和希さんが独り立ちなさったら、……さよならです」
アンドロイドは特殊な状況下を除き人間に嘘を吐けない。
だから尋ねられたら、言いたくない答えだって口にする。
時に沈黙は嘘と同じだから。
「大丈夫、三年経ったら俺のだよ」
「三年?」
「二十歳になったらユキの所有権を譲渡してもらう約束だから。ねっ、父さん」
「そうだね、ユキくんの全部が欲しいからと……あれは何年前だったかな?」
「六年くらいかなぁ?」
混乱する私を置き去りに、親子は暢気に昔語りを始めた。。
精通が始まって性的に見始めただとか、父親でも妬けるだとか、理解できない言葉ばかりが飛び交っていく。
確かに成人すればアンドロイドの所有が認められるし、他人からの譲渡も可能だ。
でも、何でそんな……
「俺はね、ユキが好きだからユキの全部が欲しい」
抱きしめられて囁かれたら、まるでそれは愛の言葉。
体中の回路が甘く痺れて溶けそうだ。
「だから離れたくないなら一緒にいてよ。それで俺がユキを好きなのと同じくらい、ユキが俺のこと好きになってくれたら最高なんだけどなぁ」
「それは…多分、…無理です」
「俺のこと嫌い?」
悲しそうな瞳で顔を覗かれて、咄嗟に首を横に振る。
「そうじゃなくて……ッ、私はもうきっと、和希さんが望む以上に和希さんが好きっ…なので。だから、えっと、無理…です」
アンドロイドは特殊な状況下を除き人間に嘘を吐けない。
だから尋ねられたら、隠しておきたかった気持ちさえ口にする。
「何それ、最高だね」
和希さんは満面の笑みで私を抱き上げると、踊るようにクルクル回り出した。
そして気が済むと、今度は私の顔中にキスの雨を降らし始める。
「えっと、和希さん、マスターが見て……違う、そうじゃなくて、えっと……私はアンドロイドで、その上男性型ですし、だから……未来が……」
混乱して上手く言葉が紡げない。
私は多分愛の告白をされていて。
それがとても嬉しくて。
でもアンドロイドの私は和希に何も与えられないから。
人間には無限に存在する未来の可能性というものを、たくさん奪ってしまうから。
だからどんなに嬉しくても、これはいけないことで。
いけないことなのに嬉しくて。
だから私はどうすればいい?
「ごめんね、ユキ。ユキがイヤだって言っても、ダメだって言っても、俺はユキを手に入れるよ。マスターのお願いは断れないから……ズルいよね」
「和希…さん……」
「だから選んでほしい。俺がマスターになってお願いする前に、ユキ自身が俺を選んでよ。大丈夫、愛してるから。ユキがいれば、俺はいつだって超幸せ」
そう言った和希は、言葉通り幸せそうに笑うから、何だか悩むのがバカバカしくなって、私も笑った。
「それに俺、ユキが居ないと生きていけないよ」
「私の代わりくらいいくらだって……」
「ねぇ、ユキ。ちゃんと分かってる?ユキの代わりは居ないんだよ。俺が好きなのはユキだし、一緒に居たいのはユキだし、他の誰も俺を幸せには出来ないんだよ」
両手で頬を包み込まれ、真っ直ぐ視線を絡ませながら、和希は私に欲しかった言葉を刻み込む。
「だからさ、一緒に居てよ。俺のこと好きでいて。俺にユキのこと好きでいさせて」
「……ッ、はい」
涙は流れない。
頬は赤く染まらないし、心臓は破裂しそうな程高鳴りはしない。
でもきっと、機械の体に宿る心は、在りもしないそれらを感じていて、だからこんなに好きが溢れかえっている。
和希は言った、私でないと駄目だと。
代わりは居ないのだと。
私が居ないと生きていけないと愛しい貴方が言ってくれるなら、この体が壊れるその時まで私は貴方の側にいる。
「和希さん、大好きです」
「うん、俺も」
そう言って近づいてきた唇は、私の唇と重なった。
「えーと、パパ見てるから程々にしてね。それからユキくん、コーヒーのおかわりをくれるかい?」
「父さん、もう一回チューするまで待ってて」
「一回で終わるなら待ってるよ?」
「……やっぱ二回、三回かな?」
目の前で繰り広げられる暢気な会話に、私は羞恥心を通り越して笑ってしまった。
この家の男達はきっと、私が居ないと生きていけない。
そして私も彼らが居ないと生きていけないのだ。
END
シカカイ | 15/10/24 02:13 |
タイトルに裏切られました(いい意味で)
甘かったです・・・自分予想。
最後まで読んだら、この作品はこのタイトル以外有り得ない
説得力とオチが待っていました
・・・とにかく、んまぁ~あまかったです!!!
碧暗い水 | 15/10/24 22:55 |
親子揃って天然でナイスです。
itoko | 15/10/26 17:49 |
あまあま!ぐるぐる悩んでるユキちゃん可愛かったです。素敵な萌をありがとうございます!
itoko | 15/10/26 17:58 |
あまあま!ぐるぐる悩んでるユキちゃん可愛かったです。素敵な萌をありがとうございます!
ピピン | 15/10/29 06:44 |
パパの存在がナイスです。
朝の食卓を前にして! 斬新でした。
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