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第1回 BL小説アワード

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エロなし/バッドエンド?

分からないよ、和希。 両目から雫が落ちる。人の涙に限りなく似せた液体がぼとぼとと床に落ちる。

もちお
9
グッジョブ

『僕、ユキ兄ちゃんが一番好き』
『それはそれは光栄です。あれ?でも、二組の麻美ちゃんはどうしたの』
『麻美ちゃんのことはこの際おいといてよ。今はユキ兄ちゃんの話をしてるんだから』
『小学校二年生にしてこの物言い。将来有望だねぇ』
『しょーらいゆーぼーって?』
『和希の成長が楽しみだってことさ』



 昔の夢をみるのは、久しぶりだ。

 あの時の和希はまだ幼くて、ユキの腰ほどまでしか身長もなく、瑞々しい若草に滴る水滴のような大きな瞳を輝かせていた。ユキ兄ちゃんユキ兄ちゃんと懐いてくるのが可愛らしくて、彼の母が眉を顰めるほど甘やかして育ててきた。
 ユキは家事手伝い兼多忙な高梨夫妻に代わって一人息子の和希のお世話係として派遣されたアンドロイドだ。
 アンドロイドは今や身近な存在であり、一家に一体は当たり前ではあるが、購入するのは一部の富豪のみで、大抵の家庭は派遣会社からのレンタルサービスを利用している。ユキの所有権はアンドロイド派遣大手である『イシュタル』が保有しており、レンタル期間は三年ごとに更新される。
 ユキは和希が六歳の誕生日を迎える頃に派遣された。過去三回の契約更新は和希がまだ未成年だということと、和希自身がユキを必要としていたので当然のように為された。

 為されたの、だが。

 知らず溜め息が口から漏れる。まもなく四回めの更新日がやってくる。和希十八歳の誕生日が。
 黒い靄が機械仕掛けの胸を覆っていくのが分かる。以前のように『更新されて当然』という心境にはなれなかった。

 ここ一年ほどであろうか。
和希の態度が、目に見えて変わったのだ。

 高梨夫妻は長期出張中で、朝食を作るのはユキの役目だ。身支度を整えてから階下に降りて、使い慣れたキッチンで和希のための目玉焼きを焼く。適当に千切ったレタスを皿に盛り、軽く胡椒を振った目玉焼きを横に乗せる。狐色のトーストにマーガリンを塗っているところで、リビングの奥の扉が開いた。

「おはよう、和希」
「…はよ」

 茶色く染めた癖っ毛が跳ねる頭をガシガシ掻きながら、和希はカウンターの向かい側に腰を下ろした。出来上がった朝食一式をトレイに乗せてカウンターに置く。

「どうぞ」
「…ん」

 寝起きが悪いのは昔からだが、ここ最近は輪をかけてそっけない。何せ目も合わせてくれないのだ。異変に気付いた頃にはそれなりに気に病んだものだが、全く身に覚えがないので問い質すことも出来ず、とりあえずこれ以上嫌われないように、普段通り。笑顔で接するよう心掛けている。

「飲み物は何を?お茶?ミルク?」
「…コーヒー」
「え、コーヒー?珍しい。お砂糖は」
「いらねぇ。ブラック」
「ブラックって。甘党の和希がブラックとは」
「うるせぇな!とっとと用意しろよ!!」

 強くテーブルを叩くので、食器が耳障りな音を立てて揺れた。瞠目するユキに、和希は迷子のような頼りなげな視線を向けたがそれは瞬きの間くらいのことで、すぐに目を反らした。
 爽やかな初冬の陽射しが降り注ぐ室内に、不似合いな気まずい沈黙。
 何か言おうと思うのだが、何故怒鳴られたのか全く理解できないユキには、不機嫌な和希に掛ける言葉が生憎見つからなかった。下手なことを言ってまた怒られてはたまらない。
 暫くお互い黙り込んでいると、特大の溜め息をついた和希が乱暴に椅子を引いて立ち上がった。

「か、和希?」

 呼び掛けを無視して、リビングのソファに置かれた鞄を掴み、足音も荒く部屋を出て行った。玄関のドアが閉まる音を聞きながら、ユキはその場にへたり込む。
 何故上手くいかないのか。自分は昔と変わらず和希を大切にしているのに、どうして和希は辛くあたってくるのだろう。
 アンドロイドとはいえ心はあるのだ。発達したAIは命を持たぬ入れ物に心を与えた。少なくともユキはそう信じている。そうでなければ、胸を締めつけるこの痛みが何なのか説明できないから。

 和希にはもう、自分は必要ないのだろうか。

 アンドロイドは変わらない。姿形も心も変わらない。しかし、人間は違うのだ。

『僕、ユキ兄ちゃんが一番好き』

 かつての和希の言葉と晴れやかな笑顔が脳裏を去来する。和希の誕生日まで、もう幾日もない。あの様子では、恐らく次回の更新はないだろう。
 食べてもらえずに放置された朝食と自分が重なる。刻一刻と迫る別離の瞬間を思うと、もはや溜め息すら零れなかった。



 どれだけ拒否しても時間は全ての者の上を平等に過ぎていく。
 和希の誕生日まで二日をきった深夜、ユキは自室でメッセージカードを認めていた。和希の誕生日プレゼントに添えるためのものだ。せめて最後くらい和希の笑顔をみたいという一心で、プレゼント選びには時間をかけた。
 今時の若者らしくアクセサリーが好きな和希のためにシルバーチェーンのネックレスを用意した。鈍色のチェーンの先には透明な十字架のチャームが揺れる。中央に埋め込まれたオレンジがかったトパーズは、和希の瞳の色を思い起こさせた。
 和希の好みは熟知している。これならきっと気に入ってもらえるはず。笑顔で『ありがとう』と言ってくれるはずだ。屈託のない和希の笑顔を思うと、別れの恐怖は少しだけ和らいだ。

「これで、よし……と」

 感謝の思いを綴ったカードとプレゼントを引き出しにしまって、そろそろ休もうかと立ち上がったそのとき。

コンコン

 控えめなノック音が聞こえてきた。今日も今日とて高梨夫妻は出張中だ。家の中にはユキと和希しかない。
 つまり、ノックしているのは和希だということ。
 和希が部屋に来てくれるなんていつぶりだろう。それだけで嬉しくてたまらなくて、慌ててドアを開けた。

「和、希…」

 ドアの向こうにいたのはやはり和希だった。それは間違いないのだが、俯いたその顔色は悪く、纏う空気は酷く荒んでいた。

「か、和希?どうしたの。何か」
「いいから部屋に入れろよ。話があるんだ」

 心配するユキの手を振り払って、了解も得ずに押し入りベッドに座った。まだ学生服のままで着替えてもいない。

「和希。話って」
「…………」
「和希…?」

 話がある、と言う割には貝のように押し黙る和希に困惑するが、あまりしつこく声をかけるとまた怒鳴られてしまいそうで何も言えない。椅子を引き和希の正面に腰掛けて様子をうかがった。
 それほど長い時間ではなかったと思う。しばしの沈黙の後、和希は独り言のようにぽつりと呟いた。

「……今日、女子に告られた」
「え?」

 予想外の返答にぽかんとする。告られた。愛の告白されたということか。
 それなら別に悪いことではない。和希を想うその子と和希の関係性が分からないので必ずしも良いこととも言い切れないが、嫌われるよりは遥かにいいはずだ。いいはず、なのだが。
 今の和希は喜んでいるようには見えない。

 どうして?

 悩みがあるなら打ち明けてほしい。力になれるか分からないけど、共有することは出来る。和希はそれ以上語る気はないようなので、こちらから問いを重ねた。

「その子はどんな子?」
「…部活の後輩」
「可愛い子なのかな」
「さぁ。人気はある方じゃねぇの」
「和希とは元々仲良しだったの」
「悪くは…なかった。結構しゃべってた」
「その子のこと、好きなのかい?」

 ここで和希は少し黙って。顔を更に俯かせた。

「嫌いでは、ない」

 それなら何も問題ないじゃないか。

 嫌いではなくて、それなりに仲が良くて、可愛い子に告白された。良いことだ。
 和希が沈んでいる理由が尚更分からなくなったが、祝福しても構わないだろう。一抹の寂しさは感じるが、和希の良さを分かってくれる女の子がいるのは、ユキにとっても喜ばしいことだから。

「良かったじゃないか。おめでとう。和希も隅に置けないね」

 精一杯の笑みを浮かべて、からかうように和喜の肩を小突く。
 すると、突然小突いた手首を掴まれた。

「っ!?」
「……とうって、なんだよ」
「え?なに…っ!」

 掴む腕の力はどんどん強くなり、手首が軋む。ユキのような家庭用アンドロイドには痛覚が実装されている。だから、痛い。離してほしくてもがいたが、和希は頑として離さない。

「和希!痛いっ」
「おめでとうって、なんだよ!」

 掴まれた手首を引かれ、強引にベッドに押し倒された。後頭部と背中をスプリングに打ちつけて、衝撃に一瞬呼吸が止まる。和希はユキの上に馬乗りになった。

「アンタさ、俺の気持ち知ってるくせに、とっくに気付いてるくせに、よくもまぁそんな残酷なこと言えるよな。見損なったぜ…っ」

ーー和希の、気持ち?

分からないよ分かるわけがない。
だって、君は何も言ってくれないじゃないか。
何も、話してくれないじゃないか。
目も合わせてくれないじゃないか。
君にとって僕はもう、不必要なんだろう。
君の『一番』じゃなくなったんだろう。
そういう、ことだろう。

 今まで押し込めてきた恨みに似た感情が腹の底で滾る。置いていかれるものの恨みだ。所詮自分は人間ではなく、機械であることの虚しさだ。
 でも、こんなこと言えない。和希が悪いわけではないのだから。

だから。

「……君の気持ちなんて、分からないよ」

 それだけ、笑いながら吐き捨てた。
 和希は泣きそうに顔を歪めた。握った拳で強くベッドを叩いて、叫ぶ。

「昔から言ってんじゃねぇか!アンタのことが一番好きだって!ずっとずっとずっとずっとそう言ってきたじゃねえかよぉ!!」

 ユキのシャツを掴み、荒々しく引き裂いた。首筋に噛みつかれる。愛撫とは言い難い粗雑さに悲鳴に近い声が漏れた。それでも和希はやめない。

「俺はガキじゃねぇ…!もうガキじゃねぇんだよ!ひとりの男としてアンタのことが好きなのに、アンタは決して俺を見ない。俺を意識しない!」
「か、ずき…っ離して」
「なぁユキ。アンタ俺のことどう思ってるんだよ…!俺に少しでも望みはあんのかよ。答えろよ!」

 和希のことは、好きだ。断言できる。でもそれが恋なのかは分からない。考えたこともない。そもそも自分に『恋愛』という機能がついているのかも分からない。
 でも、好きなのだ。ユキにとって和希は全てなのだ。それではいけないのか。

「ユキは、プログラムされたもの以上の感情を、俺に向けてはくれねぇのか…っ」

 鎖骨に冷たい雫が落ちる。和希が泣いている。大切な和希を泣かせてしまった事実はユキを打ちのめした。それでも何も言えない。分からない。分からない。和希が大切なのに、和希の望むとおりの自分になれない。
 和希はしゃくりをあげながらも起き上がって、ユキに背を向けた。

「アンタ、やっぱりアンドロイドなんだな」

 俺とは、違う。

それだけ言って、扉の向こうに消えた。



 翌朝、和希は父親に『ユキの契約は更新してほしい』と電話をした。絶対に打ち切られると踏んでいただけに驚いた。
 呆然と立ち尽くすユキを睨んで、憎々しげに和希は言った。

「解放なんてしてやらない」
「アンタは一生俺のそばで、俺が他の誰かと幸せになるのを黙って見てろ」
「アンタが一番じゃなくなった俺を見ても、どうせアンタは笑ってるんだろうけど」
「どうすりゃアンタを傷つけることが出来るんだろうな」
「一生苦しめよ、ユキ」

 冷えた眼差しに身体の芯まで凍りつく。ぶっきらぼうでも昨日までは確かに存在した和希の愛情は、おぞましい何かに形を変えた。

 変えたのは、紛れもなくユキだ。

 胸が痛い。痛くてたまらない。和希が怖い。和希を怖いと思うことが辛い。
 僕はどうすれば良かったのだろう。どうして僕は機械なのだ。プログラムを超える何かはどうやれば手に入るのか。分からない。

 分からないよ、和希。

 両目から雫が落ちる。人の涙に限りなく似せた液体がぼとぼとと床に落ちる。
 どれだけ似せても、和希と同じものには決してなれはしないのだ。あんなに痛かったのに、噛みつかれた首筋には傷跡ひとつありはしないのだから。

もちお
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グッジョブ
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きなこchun 15/10/24 07:49

せつなく、どこか暗さがあるんですが、不思議と後味は悪くなく好きです!
和希くんの想いが届くといいな……と思えるお話でした!(*^^*)

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