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第1回 BL小説アワード

誰よりも近くて遠い

エロなし

その高性能故、高梨家の一人息子である和希にとって、“お節介な手伝いロボット”であり、“唯一無二の親友”となった。

つばきみう
4
グッジョブ

 それはとても静かな夜だった。スリープモードに入っていたユキは異変を察知し、自身を起動させる。耳を澄ませなければ聞こえないほどの起動音だが、夜には敵わないようで、それは部屋中に響いた。
 ユキは異変の方向へひとつの迷いなく振り向く。側で眠っていた和希が自身を抱えるようにして震えていた。それは怖い夢に怯える幼子そのものだった。このような時はいつも、ユキが近寄り、そっと背中を撫でる。和希が幼い頃からユキはそのようにしてきた。そうすれば和希の震えは止まり、穏やかな顔で眠りにつく。それが最善の策だとユキの中にインプットされていたし、何よりもその眠りに落ちる和希の顔がユキにとっては一つの喜びだった。
 しかし、いつもと様子が違う。そこには明らかな熱があること。和希が幼い頃、彼を苦しめたそれとは似ていて異なる。熱は彼の身体に危機を及ぼすものではないと判断したが、明らかに異常ではある。
 ――和希に何が起こっているのだろう。
 ユキはあらゆる情報や経験を咄嗟に検索するが、該当するものは見当たらない。もう少し様子を窺う必要があると判断し、近寄る。しかし和希は熱を帯びたまま、震えている。息も不自然なリズムを刻んでいる。
「具合が悪いの?」
ユキが声をかけると、和希の震えが止まった。いや、無理に止めているといった方が正しい。ユキが近づくと、それを許さないと言わんばかりに和希の身体は硬直した。

 ロボットが開発され、ヒトの中に普及していったのはそう昔ではない。初期はせいぜい部屋を掃除するだけのものだったはずが、次第に進化していった。今となってはヒトの呼気、体温、血圧、等々、それらを瞬時に読み取り適切な情報を探し出し、適切な対応を行う。ヒトと大差ない、いやむしろ能力の面ではヒトに勝るだろう彼らはアンドロイドと呼ばれ、今や各家庭にいることが至極当然になっていた。
しかし、どんなに高性能であろうと完璧なヒトとなることは不可能とされていた。ヒトの機敏で繊細かつ不安定な感情というものは、彼らにとっての永遠の課題だった。それはどんなに彼ら自身が願ったとしても。――そもそも、願いもしないが。
 数年前にユキは高梨家へやって来た。忙しい和希の両親が家事と和希の世話をさせるために購入した。ユキは当時画期的と言われるほどの優秀なアンドロイドだった。家事全般を完全にこなすだけでなく、その経験を積み成長する。ヒトの精神状態さえも読み取り、そこから学習し適切な判断を下す能力も持つ。ヒトを学び、他のアンドロイドに比べ多様な感情表現も行う。まるでそれがヒトそのものだと高く評価されていた。
 その高性能故、高梨家の一人息子である和希にとって、“お節介な手伝いロボット”であり、“唯一無二の親友”となった。和希が病気にかかれば適切な情報を用いて看病したし、悲しんでいれば側にいたし、何だって適切に対応してきた。時に両親の代わりに諌めたり、和希に好きな女の子ができれば話を聞いたりもした。ユキはそれらを全て覚えていた。だからこそ、和希に必要なことを瞬時に判断することができた。

 それが今、ユキは判断しかねている。
「和希、身体が熱い。熱があるの? それに泣いてる……悲しいの? それとも痛むの?」
「触んなよ……」
「え?」
「触んなって言ってんだ」
和希から漏れる拒否の言葉は、ユキを余計に惑わせる。表情、息遣い、少し震えた声のトーン。和希からは色んな感情を認知した。ただそれはユキにとってそれはあまりに複雑だ。一つ一つは知っているものなのに、それが何を示すのか認識できない。
――こんな和希を、ぼくは知らない。
和希のことで、分からないことなどこれまで無かった。ユキは更に検索機能を動かすが、何一つ分からない。
――いやだ。そんなの。
「熱っ……!」
和希が飛び起きた。ユキが触れていた部分には点々と赤黒い跡が残る。見ようによっては花に見えるが、どす黒いそれに美などない。和希は条件反射で花を包み、指の間からそこを覗く。それからユキの方へ視線を移した。
「ごめん、和希」
「いや……どうしたんだ、ユキ」
和希の少し釣り気味の大きな目がゆっくりと動く。黒目には窓越しの月明かりがうっすらと映り込んだ。それと瞳の境目がぼんやりと揺れ、涙の薄い膜が光る。ユキはそれを逃さずに追っていた。
「ごめんね和希。痛いよね。今すぐ治療を……」
ユキの手元はいつになく震えていた。いつだって適切な処置を行ってきた彼の手が。
 和希が火傷をした。それは自分の発した熱によるものだ。手当をしなければいけない。何故発熱しているのか。それは自分の知らない和希が目の前にいるからだ。自分の知らない和希とは。
「お前、オーバーヒートしてるんじゃないのか。大丈夫か? 今、冷却剤持ってくるから。いや、強制終了の方がいいのかな……」
「和希、ぼくの知らないきみが今目の前にいることに戸惑っている。今、和希は何を考えているの」
「……もう電源落とすから、そこに寝て」
和希はユキの右の耳の後ろに手を伸ばす。ユキはそれを拒否しようと和希の手を振り払おうとしたが、未だ残る手の熱に素早く止められる。和希の人差し指がユキの耳の後ろをつうと撫でた。
「……っ……!」
ユキの身体に電流が走る。物理的な電流ではなく、感覚的なものだ。アンドロイドである彼らに感覚的なものなど存在しないはずだが、ユキそれをはっきりと感じていた。そして襲う戸惑い。
 そんなことなど和希は気づきもしないで、強制終了用のスイッチを探し続けた。
 自分には今深刻なエラーが起きている。ユキは遠くで鳴る警鐘を素直に受け入れていた。ぷつりと電源の落ちる音と共に、ユキの瞳から光が消えた。ユキの身体の熱が冷める頃、部屋はまた先ほどの静けさを取り戻した。


 和希は自分の腕の中で眠っているようなユキと時計を交互に見た。ユキが目覚めるとしたら、あと二時間はかかるだろう。
 これまでユキの強制終了のスイッチを押したことなど、片手で数えるほどだった。初めて和希がスイッチを押したのは、和希を庇い階段から転げ落ちた時だった。和希の頭に鮮明にその情景が浮かび、身震いする。光を失っていく目と、かすれていく声が和希の脳内を支配する。その時はユキの指示で強制終了のスイッチを押した。
今回はそのような衝撃は無かったというのに。オーバーヒートの理由が和希には皆目見当がつかない。
ユキのオーバーヒートの代わりに、すっかり熱を失った自身の身体を撫でた。とはいえ、まだしっとりと汗が残っている。冷たい汗だ。
「お前に何かあると、こんなに焦るんだよ、俺。かっこわるいよな」
ユキには聞こえるはずもない和希の自嘲。表情一つ変えないユキに安堵と歯がゆさを覚えながら、和希はユキに添うようにしてその場に寝転ぶ。和希がユキの頬に指を這わすと、まるで冷水。冷たいだけでなく、恐ろしいくらいに澄みきっている。しかし氷のように傷つけることなく、滑らかに人差し指を受け入れてくれる。
 甘えそうだ。
 和希はそっと指を引っ込めた。ユキが氷だったら良かったのに。和希はユキの温度が残る指をもう一つの手でそっと包んだ。
 何も知らないといった顔で眠るユキを、和希は己の瞳に映しこむ。
 ああ、もう戻れない。
和希は再度ユキの頬をゆっくりと撫でた。やはり冷たいままで、ユキは身動き一つ取らない。自分の指先にほんのりと帯びた熱との差は、容赦なく和希の胸を締め付ける。

「……お前には知られるわけにはいかないんだよ」
和希はすっかり冷たくなったユキの指に自分の指を絡めた。いつものユキの温度だ。
そこにあるのは何一つ変わらない、温度だった。和希はそれを確認し、ユキからそっと離れた。

つばきみう
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