エロなし
「和希、ユキのこと好きだろ」咄嗟に言葉が出なかった。兄の、見透かしているかのような目に怯えた。ずっと隠してきたことを暴かれるのは怖かった。
食堂のうるさい雑音たちは時々、こちらの食欲が減るような話を運んでくる。最新型のアンドロイドが発売される一週間前となれば尚更だ。
和希は辛口カレーを食べながら斜め後ろの会話に眉を顰めていた。
「なぁ、お前んとこ確かもう十体くらいいたろ? 最新型も買うの?」
「当たり前だろ。とりあえず三体予約してるよ」
「うっわ金持ち。でもさー、そんなにいたら逆に邪魔そう。廊下でぶつかったり」
「ウチの廊下はそんなに狭くないし、数の調整なんて簡単だよ。古い奴は捨てればいいだけだろ? 人間雇うより手間かからないね」
悪びれもせずさらりと言い切る。会話相手の男子が「ひでぇなあ」と返したところで和希は席を立った。
ああいうことを言うのは何も金持ちだけじゃない。アンドロイドの廃棄はどこの家庭でも普通にやることだ。壊れたアンドロイドを修理に出すよりも買い換えた方が安いから。
それにしたって胸糞悪い。好きなはずのカレーなのに食べた気がしない。こんなことならユキに弁当を作ってもらえばよかったと和希は自分の家のアンドロイドを思い浮かべた。
▽
玄関の鍵を差しこむ前にガチャリと音がして鍵穴が回った。
「おかえり」
開いた扉からひょっこりと顔を出したのはアンドロイドのユキ。和希が小学生の頃からずっとこの家にいる。
「ただいま。足音で分かった?」
「もちろん。俺の耳は高性能ですから」
ユキは笑って自分の耳をくいくいと引っ張った。一度覚えた足音なら誰のものか聞き分けることのできるユキはこうやって毎回、鍵を開ける前に出迎えてくれる。鍵の出番がないなあと苦笑しつつ和希はユキに鞄を手渡して靴を脱いだ。
「今日って俺一人?」
「うん。だから夕飯は和希の好物にしといたよ」
「ハンバーグ?」
「ハンバーグ」
「ミートソース煮込みの?」
「そう。ミートソース煮込みの」
やった、とガッツポーズをする和希にユキが笑いを堪える。好物はいつまでも変わらないものだ。
和希はユキに預けていた鞄を受け取ると、自室で着替えてリビングに顔を出した。テーブルの上にはミートソースで煮込まれたハンバーグとオニオンスープ、たまごサラダが並べられている。おいしそうと呟いたところでユキがよそったご飯をそこに追加した。
「いただきます」
手を合わせて箸を取り、ハンバーグを頬張る。昔も今も変わらない味だった。おいしいと言うとユキは嬉しそうに微笑んだ。
和希は笑顔を返しつつも心の中には薄い霧がかかっているようなそんな気分だった。同じ食卓にいてもユキが食事をすることはない。アンドロイドなのだから当たり前だ。しかし幼い頃はそれが分からなくてよくユキを困らせていた。
お風呂に一緒に入ろうだとか、プレゼントした手作りのお菓子をどうして食べてくれないんだ、とか。ワガママを言って駄々をこねて、困った顔をされると腹を立てて。あの頃は分かっていなかったのだ。ユキが人間とは違う、アンドロイドだということを。
「おいしいね、ハンバーグ」
目を伏せ、そう言った和希がふと箸の手を止める。目を向けた先は壁に取り付けられたスクリーン。アナウンサーがちょうど次のニュースを読み上げていた。
『2×××年製造のアンドロイドに不具合が見つかり、A社が返金も含め自主回収を発表しました』
▽
日曜日の朝だった。目覚ましをかけない休日はいつもユキが起こしに来る。しかし目が覚めたのは昼過ぎだった。ユキに起こされて起きないわけがない。和希は妙だなと思いながら自室がある二階から一階へと下りた。
「あれ、兄ちゃん?」
リビングのソファーに兄の姿を見つけ、和希は驚きに目を瞠った。
「おう、おはよ」
和希に気づき、兄が軽く手をあげる。
「なんで家にいんの?」
「一瞬だけ里帰り。ちょっと用事があってね」
「親父と母さんは休日出勤でいないよ」
「知ってる。昨日聞いた」
ふうん、と相槌を返して和希はキッチンに行き冷蔵庫を開けた。中からお茶の入ったボトルを取り出し、ふと目に留まった流し台を見て一瞬息を止める。
「……皿が……」
「どうした? 和希」
「食器がそのまんまになってる。昨日の、夕飯の」
和希の言葉の意味をすぐに理解した兄はふうと溜息を吐いた。ユキは高梨家の家事を任されている。その全てを疎かにすることは決してない。昨日の食器が洗われず、放置されているなど和希にとっては異常事態だった。
「ユキは……昨日、俺……?」
昨日の記憶を探る。確か、夕飯を食べた後眠くなってそのまま……。
「兄ちゃん、ユキは? ユキはどこにいるの」
「……二週間前、ニュースがあったろ。アンドロイドの自主回収の」
どくん、と心臓が波打った。背中を嫌な汗が伝う。
「まさか……でも、対象になるアンドロイドは製造年がユキとは違うはずじゃ」
「3年前にユキを修理に出したろ?その時のメーカーは?」
はっとして口を噤む。3年前、腕に不具合の生じたユキの修理をしたのはA社だった。
「その時の交換パーツに組みこまれてた部品が今回の回収対象なんだ。放置しておくとアンドロイドのここに支障をきたす」
ここと言って兄は自分の頭を指差した。
「部品の回収が終わったらユキは帰ってくる?」
兄は答えなかった。不安になった和希は兄のところへ駆け寄る。
「兄ちゃん」
「……回収した後は返金か、交換かの対応だよ。ユキの代わりに来週には新しいアンドロイドが──」
「ユキの代わりなんていない!」
叫んだ和希の目には動揺の色が浮かんでいた。遮られ、一度口を閉ざした兄は頷きながら肩を竦める。
「怒るなよ。俺だって昨日聞いたんだ」
「嘘だ」
「ばれたか」
「親父と母さんは?」
「同意してる。書類にサインもしたって」
「どうして俺に言ってくれなかったんだよ」
「言ったら怒ったろ? 今みたいに」
ふざけるな、と叫び出したい気分だった。この行き場のない怒りとやるせなさをどうしたらいいのか分からない。食堂で胸糞悪い雑談を聞いた時よりも気分が悪かった。
「……ユキは家族だ」
拳を握りしめる。睨みながら吐き出した言葉は和希自身に言い聞かせているような響きも持っていた。
「そうだね。俺にとっても家族だ」
「だったら……!」
「でもユキはアンドロイドだ。人間じゃない。家の外じゃ人間と同じ扱いをしてもらえないんだ」
「そんなこと分かってる!」
「分かってない」
ソファーから立ち上がった兄が和希の前に立ちはだかった。
「和希、ユキのこと好きだろ」
咄嗟に言葉が出なかった。兄の、見透かしているかのような目に怯えた。ずっと隠してきたことを暴かれるのは怖かった。
「家族、だから、好きに決まってる」
やっと口から出た言葉は震えていた。兄ははあ、と息を吐き出し頭をがりがりと掻いた。
「それもそうだな。……意地悪して悪かったよ」
ほら、と渡されたのは手のひらに収まるサイズの小さな正方形の箱だった。
「それ、ユキのメモリーだから大事にな。部品回収の時に影響あるかもしれないって言うからそれだけ取ってもらった。三日くらいしたらボディも戻ってくるってさ」
「ちょ、兄ちゃん!?」
「じゃあね。兄ちゃんは賛成もしないけど反対もしないから。うまくやれよ?」
ひらひらと手を振ってリビングから兄は去っていった。状況がうまく読み込めず、しばらくの間和希はその場に立ち尽くしていた。とりあえずユキが回収されたまま戻ってこない、というわけではないらしいと安堵し、へなへなと座りこむ。
大事そうに両手には正方形の箱を抱えて。
▽
「ごめんね、お皿も洗わないままで……」
「いや、いいよ。急だったんだろ?」
「うん、早い方がいいって言われて」
申し訳なさそうにしょんぼりと長い耳を垂らすうさぎのぬいぐるみと和希は会話していた。部品回収の間、ユキと話せないのは寂しかろうと父が持ってきたぬいぐるみロボットにユキの記憶装置を埋め込んであるのだ。
動くのは耳だけだが、ユキと意思疎通できるだけで和希には充分だった。
「はあ、うさぎの姿じゃ何もできないよ。ご飯が……お洗濯物が……」
「いいんだって。ユキもたまには休みなよ」
「でも俺はアンドロイドだから。ちゃんと仕事しないと」
「はは、ユキは真面目だよね」
机の上に座らせていたユキを抱え上げ、和希はぎゅうと抱きしめた。ユキの耳、今はうさぎの長い耳がぴんとまっすぐに伸びる。どうやら驚いたようだ。
「どうしたの?」
「んー?」
和希はぬいぐるみの柔らかい感触に微笑んだ。
「ユキがうさぎでもなんでも、好きだなぁって思って」
ぴこぴことユキの耳が動く。時折頬にあたるくすぐったい感触に和希はまた口元を緩ませたのだった。
▽
「ユキ、なんかちょっとでかくなってない?」
「ついでに色んなとこ部品交換してもらってきたからね! 兄ちゃんのコネに感謝してね!」
「とりあえずユキを横抱きにするのやめて兄ちゃん。シュールすぎる」
戻ってきたユキの体にうさぎのぬいぐるみから取り外した記憶装置をセットする。起動するのを兄と一緒に見守っているとユキの目がぱちりと開いた。焦げ茶色の瞳があたりを見渡し、和希と目があうとにこりと微笑む。
「ユキ、よかった……」
ほっと息をつく和希の頭をぐしゃぐしゃとかき回しながら兄がユキに問いかける。
「おう、ユキ。視界は良好? どっかおかしい所はない?」
「うん、大丈夫」
「ならオーケーだな。んじゃ俺は仕事に戻るから何かあったら連絡してこいよー」
兄はそう言うとさっさと出て行ってしまった。
ユキは起き上がり腕を回したり、足を動かしたりして細かい動作チェックを行う。不具合がないと分かると大きく伸びをして笑顔を浮かべた。
「やっぱりこっちの方がしっくりくるね」
「そう?俺は喋るうさぎも好きだったけど」
冗談混じりに返すとユキは一瞬きょとんとして、あっと何かを思い出したような表情を見せる。そして何故だか真正面から抱きついてきた。驚いた和希はうわあ、と声をあげる。なにせ、以前のユキよりも一回り大きくなっているのだ。元々ユキの身長に追いついていなかった和希はユキの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「なんだよ、いきなり」
「ふふ、うさぎじゃこういうのできないでしょ? あの時抱きしめてくれたから、俺もそうしたくて」
「……ふうん」
「うーん、それにしても大きくなったよね、和希。小学校の頃はあんなに小さかったのに。椅子にもちょこんって座ってさ」
「その思い出話、高校に入ってから百回は聞いた」
どこか拗ねたような物言いにユキはくすくすと笑った。
「和希はいくつになっても俺の可愛い……えーと、」
「なに?」
「わかんないや、なんて言ったらいいのか」
家族とか弟、とでも言っておけばいいのになと和希は思いつつ口には出さなかった。自分はユキを家族だと言っておきながら、実際はそうではないと心のどこかで抵抗しているのだ。愚かにも。
黙ってしまった和希の頭を撫でながら、呟くようにユキは言った。
「大事な人、かな」
ユキの背中に回した手で服を掴んで握りしめる。なにも言葉にはできなかった。ユキがアンドロイドだということ、そのこと自体をまだ自分は分かっていないのだと唇を噛み締める。
それでもただ、頬の熱を持て余しながら、どうしようもないくらいに心が満たされていくのを感じていた。