エロなし/せつない
「だって売れ残っていてかわいそうだったから」なぜこんな強面の家庭用アンドロイドを買ったのかという母の問いに、父はそうしれっと言った。
まったく、父のネーミングセンスには昔から呆れさせられる。
その一番の被害者が今目の前に立っているうちの家庭用アンドロイド、ユキ。
ユキはやさしげに微笑みながら、のろのろと朝の着替えをしている俺、高梨和希の傍らで着替えを手伝い、指先から出るドライヤーの温風で素早く髪をセットしてくれている。
「なーあー」
「はい、和希さん」
「なんでオヤジはお前にユキなんて超絶かわいい名前をつけちゃったんだろうな」
「……似合っていませんか? 私の名前」
だって筋骨隆々のボディ、身長だってクラスで一番背の高い俺よりもさらに頭ひとつ分は高い二メートル超え。
よく「お宅には格闘家の方が出入りしているんですか?」と問われるが、その正体はユキなのだ。
「だって売れ残っていてかわいそうだったから」
なぜこんな強面の家庭用アンドロイドを買ったのかという母の問いに、父はそうしれっと言った。
恐ろしく旧型の家庭用アンドロイドが壊れて、ユキがうちに来た日のことを当時幼稚園の年長だった和希はよく覚えている。というか、ユキのいかつい容姿が恐ろしくて、ひきつけを起こすほど泣いて、夜は高熱を出した。
だが見た目とは裏腹にとてもやさしいユキに、和希はすぐに懐いたのだから、それはいいのだ。問題はなぜ父が「ユキ」なんてか弱そうでかわいらしい名前を付けたのかということ。
ユキは屈強な容姿が防犯を兼ねます、なんて売り文句で販売されていたそうだが、そもそもそれがおかしい。
法律で禁止されているから公には販売していないが、例えば幼稚園児を模した家庭用アンドロイドがいるとする。その小型アンドロイドでさえ、本物の格闘家をその気になれば小指一本で殺せるくらいの能力を持っているのだから。
だから皆わざわざ怖い顔のアンドロイドなんて選ばない。大抵はメイド風の可愛らしい容姿のタイプや、厳かな雰囲気を持つ執事タイプなどを選ぶことが多い。
ユキの災難はアンドロイドの製造メーカーから無駄にいかつい容姿を与えられ、売れ残りのスクラップ寸前で父に買ってもらえたはいいが、今度は似つかわしくない名前を与えられ、今日に至る。
「合ってないことは……ないよ。ユキって、いい名前だしな」
しどろもどろでそう伝えたのに、ユキは破顔した。
人間相手だったら「絶対嘘だろう」というくらいのバレバレのニュアンスでも、アンドロイドは命令を順守するという特性から、言葉の意味をそのまま受け取ることしかできない。だから嫌味なども、もちろん通じない。
会話を重ねるうちに学習プログラムが蓄積していくので、ユキも和希の家族として全く違和感なく話ができるのだが、その部分だけは永遠に変化することはないのだ。
「私を購入した日はとても寒くて雪が降っていたから、旦那様は「ユキ」と名付けたそうです」
そう満面の笑みでユキが教えてくれた。
たとえ散歩中の犬に歯を剥いて吠えられても、職質で三日に一回は引き留められようとも、和希はユキが大好きだ。
これからもずっと、ユキとは一緒にいたい。できればうちを出ることになっても、ユキを連れていきたい――そう思っている。
「だから私はこの名前をとても気に入っています」
「知ってる……それにユキがとてもやさしいことも、俺は知ってるよ」
「私も、和希さんが最近学校で女の子にとても人気があることを知っていますよ」
「なっ……なんでそんなこと言うんだよ」
「携帯端末の通知が、ひっきりなしに鳴っていますから」
そう、いたずらっぽく笑うユキの表情に、きゅんと胸が苦しくなる。誰にも言えないけれど、この意味を和希は随分前から理解していた。
変わったタイプの家庭用アンドロイドがいる、それ以外はごくごく平凡な高梨家に変化が起きたのはそれから間もなくのことだった。
ある日和希が学校から帰り、ユキを呼ぼうとすると母が「静かに」と言いながら和室に和希を押し込んだ。
「いきなりなんだよ、ババァ」
「ババァとはなによ! まあでも今はそれどころじゃないわ。あんた、くさかりみちるって知ってる?」
知っているも何も、巷では今大人気の漫画家だ。現在はある少年誌に格闘技漫画を描いている。
それまでは短編をふたつ掲載されただけのほとんど無名漫画家だったのだが、ずば抜けた画力とストーリー展開の面白さで、連載を始めてあっという間に人気が出た。中でもリアルな格闘シーンに定評がある。
気がつけばもうすぐ廃刊、なんて囁かれていたその少年誌はカテゴリーで売り上げトップにのし上がり、くさかりはトップクラスの漫画家になった。加えて性別や年齢、人となりがまったく謎で、ミステリアスなところも人気に拍車がかかっていた。
「で、そのくさかりみちるがどうしたんだよ」
「R-523型の家庭用アンドロイドを探しているんだって」
R-523とは、ユキの製品番号だ。つまりは格闘家のようないかつい出で立ちをした家庭用アンドロイド。
人気がなくて少数しか生産しておらず、追加生産はもちろんなし。
販売から十年以上経っているし、売れ残りはスクラップにかけられているだろうから、日本広しといえど、現在稼働しているのは、ユキを含め相当少ないのではないのだろうか。
「ふーん」
「ふーん……て、それが大変なのよ。R-523型を譲ってくれたら謝礼を弾みますってうちに連絡してきたの!」
「…………で? まさか母ちゃん、ユキを手離すってんじゃねーだろうなぁ」
「だって、最新型で最高級の家庭用アンドロイドが手に入るくらいの謝礼を頂けるのよ」
「そんなの反対だ!」
「でも……」
それ以上話をするのはやめて、和希は自分の部屋に戻った。ベッドにドサッと寝ころぶ。
「あのババァ……ぜってー許さん」
憤慨していると、コンコンと小さなノックの音が聞こえて、ユキが入ってきた。
「和希さん、おかえりなさい」
「ただいま……ユキ」
やさしげな微笑みも、今日はなんだか少し困っているように見える。いくらユキがいない所で話していたとはいえ、うちの中での会話くらい、ユキに聞こえないはずはないのだ。
「心配するな……ユキをどこかにやるなんて、俺が絶対させないから」
「でも、最新型のアンドロイドは私よりもずっと性能が良いはずですよ」
「性能とかの問題じゃないんだよっ!」
まったくわかっていない。ユキにぷいっと背を向けて携帯端末をポケットから取り出した。画面を広げて、くさかりみちるのことを調べてみる。
くさかりがR-523型に固執しているのは確かなようだった。格闘漫画を描いている関係で、ポージングや格闘の様子を実際にR-523型で再現させ、デッサンを起こしたりインスピレーションを得ているらしい。
調べるうち初めて知ったのだが、R-523型は格闘技が大人気だった五十年ほど前に実在し、夭逝した若き格闘家をモデルに、その格闘パターンをすべてプログラミングされているとのことだった。
当時の開発者が遊び心で入れたオプションに、くさかりは目をつけたのだという。現在は開発者も亡くなってしまったので、手間ばかりかかって実益のないプログラムを組むものがいないらしい。
――そしてR-523型同士で戦わせ、激しいバトルの末に、R-523型を何体も使い物にならなくしていることも知った。
たしかにうちは裕福な家庭じゃない、中流階級の下の下くらいのうちが、最新型アンドロイドを持てるなんて、主婦にとっては夢のまた夢なんだろう。
でも、だからといってユキをそんなやすやすと手離すなんてありえない。だが母も和希と同じ、言い出したら聞かないタイプなのだ。どうやって母を説得しようと和希は頭を巡らせた。
――ピンポーン。
インターフォンが鳴り、ユキが玄関に出迎えに行った。思ったよりもことは早急に進んでいるようだ。
「すみません、待ちきれなくて訪ねてしまいました……」
そこには可憐な美少女が立っていた。その美少女はくさかりみちると名乗る。
「ええっ! あなたがくさかりさん? こんなに若い……しかも女性だなんて」
だがよく見ると、儚い様子ながらも意志の強そうな瞳をしている。そしてユキを眩しそうに見上げた。
「まあ……こんなにきれいな状態で残っているなんて奇跡みたいです。現在うちにいる一体と、こちらにしかないんですよ。R-523型は」
「そんなふうに呼ぶなっ、ちゃんとユキって名前があるんだぞ」
「あら……ごめんなさい。でもデットストックではなくて、ちゃんと職務を全うしているR-523型をみるのは初めてのことだから、つい興奮してしまって」
くさかりが相当興奮しているのは傍目に見てもよくわかった。先程からずっと感心してユキを観察している。
「もしこちらのユキを譲ってくれるなら、提示した金額に少し上乗せして……いえ、この形状なら倍の謝礼をお支払してもいいです」
「倍? うそでしょ。いいんですか?」
母は完全にその気になってしまった。くさかりは用意周到でもう契約書を作成しており、サインをすればいい状態にしている。
もう頭にきた。和希はユキの手をひいて、うちを出た。
「ちょっと、和希!」
「ユキを売りとばすって言うなら、俺も出ていくから!」
捨て台詞を吐いて駆け出す。夢中でひた走り、気付くと夕暮れ時の土手にいた。ユキは心配そうな顔をして寄り添っている。
「ったく……なんなんだよ。母ちゃん、あんな胡散臭い話にコロッとなびくなんて」
「仕方ないです。私みたいなものには到底つくはずのないいい条件がついているんですから。奥様の決断は当然のことだと思います」
「嫌だよ……俺は。風邪引いて両親が不在のときも、ずっとユキが一緒にいてくれてから心細くなかったし、受験の時だって塾だけでは全然追いつかない俺の勉強をユキがみてくれたから、なんとか普通レベルの学校に入れたんだ」
「和希さん」
「ずっと一緒だったじゃないか。それにくさかりさんのところに行ったら、同じタイプのアンドロイドと戦わされて、使い捨てにされる……そんなの、耐えられない」
「なんで、そんなに私のことを気遣ってくれるんですか?」
ユキは不思議そうにこちらをみていた。なんで? そんなの決まっている。
「好きだからだよ! ユキのことがっ」
体当たりするようにユキにぶつかり、力いっぱい抱きしめた。そんな和希をユキはやさしく受け止め、そっと抱きしめてくれる。
小さいころはこうやってなんどもユキに抱きしめてもらい、いろんなことを乗り越えてきた。
「人間が、アンドロイドを好きになっちゃいけないのか? 生涯の伴侶にしている人結構いるよね。うちの学校の先生にもいるよ」
「和希さん……」
「ユキが……好きだよ。離れるなんて、絶対に嫌だ。ユキは、どうなの? 俺と離れてもいいの?」
答えを期待しているわけじゃない。主人の言葉に従うことはできても、アンドロイドに感情や自分の意思はない。それでも、黙っていることはできなかった。
「私も、和希さんが好きですよ」
「わかってる。それは家族としてだろう」
ユキはニッコリと笑って頷いた。それでもいいんだ。同じ気持ちではなくても、ユキがそばにいて、笑っていてくれるなら。
「そろそろ日が暮れますね。寒くないですか? 和希さん」
差し出してくれた手を握ると、カイロのように温かかった。
「俺、このあったかい手、好き」
「和希さんは小さいころから、これが好きでしたね」
「帰ろうか、ユキ」
「はい」
うちに着くと、もうくさかりは帰った後で、父が帰宅していた。母はなぜかしゅんとしている。
「パパに叱られちゃった……」
くさかりと一緒に父の帰りを待っていた母は、父にユキを譲る話を持ちかけてこってり絞られたらしい。皆を前にして、父はきっぱりと言った。
「ユキが機能しなくなる日と、うちの家族最後のひとりがいなくなる日、どちらが早いかわからないけれど、その日までユキと僕らは一緒だよ」
父をみつめるユキの瞳が、なぜが濡れているように見えた。
一瞬で失恋を自覚し、そしてアンドロイドも秘めた恋をするのだと知った、十七歳の秋だった。