ハッピーエンド
「『俺のこと好き?』って訊くと、ユキのPAGはキュイーンって音を上げながら、高速回転するんだよ」
最初の記憶は、真っ白な光――。
その光が、室内を照らすシーリングライトだとわかった後、自分の腰の辺りから、聡明で、好奇心をいっぱいに宿した茶色い瞳が、笑顔で見上げてきた。
「――ユキ。お前の名前は、今日からユキだよ」
その言葉は呪文のように、『ユキ』の中に埋め込まれた、パーソナルアトミックジェネレーター……通称PAG(パグ)のモーター軸を高速回転させ、キュイーンという甲高い音と共に、ユキのすべてを起動させた。
透き通る白い肌に、艶やかな黒髪。睫毛の長い切れ長な目元は、今流行のエキゾチックビューティーというデザインで、控えめでありながら華のある容姿は、誰からも好まれるよう設計されていた。
「初めまして、マスター。私の名前はユキ。2215年桐嶋発動機製造の、家事機能搭載アンドロイドです。よろしくお願いします」
一度入ると、半永久的に切れることのない電源が、ユキの全身に張り巡らされたセンサーを、次々と目覚めさせていく。そうして、製造工場で組み込まれた初期のデータが、「自分に名前をつけてくれたマスターに、挨拶をしなさい」と、強く指示を出してきた。
「マスターなんてやめてよ、ユキ。僕の名前は、高梨和希。『和希』でいいよ」
「……そうですか。わかりました、和希」
ユキはマスターに言われた通り、幼い彼を和希と呼ぶことにした。そして真っ新だったメモリーに、初めてデータが書き込まれていく。
(私のマスターは、小さくて可愛らしい男の子だ。その上、とても賢そうで人懐こい……)
いつの間にか、短くて細い両腕をぎゅっとユキに回し、人工的に作られた柔らかな皮膚の感触と、PAGが発する、体温にも似た温かい熱を楽しむように、はしゃぎながら抱きついてきた和希を、ユキは優しく抱き締め返したのだった。
***
ユキは、和希の小学校入学祝いのプレゼントだった。共働きで、いつも寂しい思いをさせている一人息子に、両親は少々値が張っても……と、より人間に近く、高性能なアンドロイドを和希にプレゼントしたのだ。
それから十二年――。高校三年生になった和希は、立派な青年に成長していた。身長もユキより十センチ以上高く、サッカー部で鍛えた引き締まった体躯は、華奢な造りをした家事機能搭載アンドロイドでは、もう抱き上げてあげることもできない。
聡明で、いつも好奇心を失わない茶色い瞳の輝きは健在だが、丸くて、ぷくぷくと愛らしかった頬のラインはシャープになり、もともと整っていた、甘やかな造りの目鼻立ちと相まって、今では街を歩けば、通りすがりの女性が振り返るほど、和希は見目の良い青年に育った。
しかし、そんな自分の整った容姿など意に介する風もなく、和希は持ち前の明るさと社交性で、誰とでも分け隔てなく接する。
そう、アンドロイドである自分にまで――。
「ただいま、ユキ」
「おかえりなさい、和希」
現在、両親共に海外出張中のため、二人だけで暮らすには広すぎるマンションの玄関へ、ユキは自分の主を出迎えに行った。
「ユキは、今日も美人だね」
朝だって顔を合わせているのに……。なのに和希は挨拶のようにそう言うと、学校指定のスポーツバッグを廊下に放り投げ、ユキの頭を片手で引き寄せると、音をさせながら、赤いユキの唇に軽くキスをした。
「――和希。このような行為は、人間とアンドロイドの間に、何ら建設的なものをもたらしません。なのでやめてくださいと、以前から言っているはずです」
「そんなことはないよ。キスは、すればするほど、絆を強くさせてくれるんだ。――それに、建設的じゃないとか言ってる割に、ユキのほっぺたも真っ赤だし……。どう? 少しは俺にドキドキしてくれた?」
睫毛が触れそうなほど至近距離で見つめられ、ユキの胸に埋め込まれたパーソナルアトミックジェネレーター……PAGが、回転速度を速めた。
「ドキドキ……という感覚がわかりません。私には、人間のように鼓動を打つ心臓がないので。それに頬に熱が集まった原因は、あなたが面白半分でダウンロードした、『羞恥機能』によるものです。誰かにキスをされたり、至近距離で見つめられると、身体が勝手にそういう反応をするよう、プログラミングされているんです」
「『誰かに』じゃなくて、『俺だけに』だろう?」
楽しそうにクスクスと笑った和希に、ユキは再び唇を塞がれ、細い腰を抱き締められた。
――和希はユキを、好きだという。
ユキだって、たぶん和希が好きだ。
……たぶんというのは、アンドロイドであるユキには、人間の『好き』という感情は複雑過ぎて、イマイチ理解できないからだ。
その上、家事機能に特化したユキには、人間と模擬恋愛するための『恋愛感情プログラム』や、性交渉を行うための『セクサロイド機能』は、当初から搭載されていない。
もちろん、後から追加することも可能だが、和希の両親が、それを望むとも思えなかった。
でもこの十二年間、ユキはマスターである和希のことだけを見てきた。自分に名前を与えてくれ、自分のすべてを起動させてくれ、そして誰よりも自分を大切にし、可愛がってくれる和希……。
小さい頃は、「大好きだよ」と抱きつかれれば、「私も和希が大好きですよ」と返し、彼の情緒を育てるためにも、初期からインストールされていた『幼児教育プログラム』に従って、ユキは全身全霊で彼に愛情表現をし、抱き締め返していた。
しかし、和希の「大好きだよ」は、年を重ねるごとに変化していった。六歳男児の「大好きだよ」と、十八歳男子の「大好きだよ」は、その意味合いも、響きもまったく違う。
だからユキは戸惑ってしまうのだ。自分を抱き締めてくれる彼を、抱き締め返してもいいのか? と……。
唇を離され、再び強く抱き締められた。けれどユキの細い両腕は、どうしたものかと戸惑うばかりだ。
「離してください、和希」
「いやだよ。もう少しこうしていたい」
腕を引かれ、ユキはリビングのソファまで連れて行かれた。そうして、先に座った和希の膝の上に、向かい合って座るよう促され、大人しくユキはそれに従う。
「和希。こういうことは恋人か、もしくは代用品のセクサロイドとしてください」
「家事機能搭載アンドロイドとは、しちゃいけないの?」
嬉しそうに見上げられ、PAGがまた回転速度を速めた気がした。
「してはいけないという法律はありません。ですが、私にはあなたのこうした行動や感情に、応える術がありません。どうしても私と恋人同士のようなことをしたいのなら、『恋愛感情プログラム』と『セクサロイド機能』を追加してください」
「――でも、そうしたらユキはそのプログラムに従って、俺を愛しているように見せるんだろ?」
「はい。私はアンドロイドです。アンドロイドは、ただの器です。その器にマスターが必要とするプログラムを入れ、それをより良い形で表現し、行動することがアンドロイドの役目です」
「……それは、すっごくいやだなぁ」
和希の表情が一瞬曇って、ユキはPAGが止まりそうな錯覚を覚えた。
「俺はね、今のユキに愛されたいんだ。プログラムなんかに従わないで、ありのままのユキに、俺は愛されたい」
「和希……?」
「好きだよ、ユキ。愛してる。ユキがいてくれれば、何もいらない。ユキと一生一緒にいて、結婚なんかもしなくていい……」
セクサロイド機能は、いつか付けようね。そう言って、いたずらっ子のように微笑みながら、和希はユキが着ていたシャツのボタンを外しに掛かった。
ユキの両手は再び戸惑い、躊躇いながらも、和希の手元を行き来する。
和希のこうした行為を止めるべきなのか? それとも受け入れるべきなのか? どんなにCPUをフル稼働しても、その答えは導き出せない――。
温かく湿った手のひらで肌を弄られ、ユキの混乱は増す一方だ。
家事機能に特化した自分には、性感はない。なのに、徐々に熱を帯びていく和希の様子を見ていると、胸の奥底にあるPAGが回転数をどんどん速めて行き、たった一つだけ和希がインストールしてくれた、『羞恥機能』のせいもあってか、己の体温も上がっていくような感覚を味わった。
「好きだよ、ユキ……。ユキは俺のこと好き?」
これまで以上に、PAGの回転速度が上がって、キュイーンと甲高い音を上げた。
「……わ、わかりません。でも、マスターとしてのあなたは好きだと思います」
「――ありがとう。今はそれだけで十分だ」
微笑むと、和希はユキの胸に顔を埋め、優しくソファに押し倒した。そして下肢の衣服も丁寧に脱がせる。
けれど、そこには和希を喜ばせるようなものは、何もついていない。
特にユキは、男性の身体を模した造りになっているので、余計和希には面白くないのでは? と、思うのだが、和希の熱がより一層昂ぶり、ユキを抱く手も、呼吸も、体温も上がると、ユキのPAGは壊れてしまいそうなほどキュンキュンと音を上げ、高速回転した。
しかし、ユキは和希に抱かれ、困惑しながらも、焼き切れてしまいそうなCPUの片隅で、本当にこのまま、自分は壊れてしまえばいいのに……と考えていた。
何より自分を大切にしてくれる和希の腕の中で、半永久的に切れることのない電源が、ぶっつりと落ちてしまったら、それはどんなに幸せなことだろうか――、と。
決して多くは求めない。いずれ和希が誰かを愛し、結婚したとしても、その時は家財道具の一つとして、自分も連れて行ってくれたらな……と願う程度だ。
だけどいつか、和希の心臓が止まるその瞬間は、絶対自分は傍にいて、己のすべてを動かすPAGが、和希の心臓と共に止まってしまえばいいとも願っている。
――なぜなら、和希のいない世界に、自分が見出す幸せなど何もないからだ。
「――ねぇ、ユキ。知ってる?」
行為を終え、ユキの白い太ももの間に飛び散った自分の残滓を拭いながら、和希が嬉しそうに口を開いた。
「『俺のこと好き?』って訊くと、ユキのPAGはキュイーンって音を上げながら、高速回転するんだよ」
「……えっ?」
「それってさぁ、俺が言う心臓のドキドキと同じなんじゃないかなって、いっつも思うんだ。だってPAGは、ユキにとって心臓みたいなものだろう?」
優しく髪を梳かれ、微笑まれる。その笑顔が何よりも幸せそうで、ユキのPAGがまた回転速度を速めた。
「――和希。私はあなたを、幸せにできていますか?」
「もちろん。ユキの存在自体が俺の幸せだよ」
ユキの胸に耳を押し当て、和希はPAGの回転音を楽しむように目を閉じた。そんな彼の満たされた穏やかな笑顔に、ユキの口元が自然と綻ぶ。
(そうか。PAGの回転速度と、人間のドキドキは一緒なのか……)
惑うばかりだったユキの指先は、いつの間にか和希の頭を、優しくしっかりと抱き締めていたのだった。
ハルリン | 15/10/16 22:01 |
和希×ユキの設定なんですね♪
最初、ちょっとわかりずらかった???です。
でも文章がとても読みやすくて、最後に胸キュンな感動がありました!!!
面白かったです!!!
有平宇佐 | 15/10/16 23:13 |
面白かったです!
とても読みやすい文章に乗せられて、あっという間に知原さんが創る世界に入り込みました。
切ない気持ちたっぷりで展開されて、エッチな描写もあるのに、人肌のぬくもりみたいなあたたかな世界に包まれて、とても居心地がよかったです。
もっともっと知原さんのあったかい作品を読みたーいっ!!!
また書いて、読ませてください!!!
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