エロなし
違う、ユキは人ではない。人型ではあるが、機械だ。彼と結ばれるはずもない。結ばれていいはずがない。
アンドロイド専用の書店の中にあるのは、本棚や本ではない。大きなコンピュータが等間隔で並び、それぞれの右隣に置かれた二つの椅子に、機械と人間が腰掛ける。本来ならばインプットにかかる時間など微々たるものだけれど、ユキたちの場合は違っていた。購入タイトルの一覧は、しばらくスクロールを続けようと終わりは全く見えてこない。そんな量のまるごとダウンロードさせられるのだ。椅子に座る間もないくらいの速さで終わる処理を横目に見ながら、ユキは動作を停止させたふりをしていた。
「ユキ君、大丈夫? 暑くない?」
返事なんてできないと思っているくせに、和希はそう問いかけてくる。出会ったときはユキの腰丈くらいしかなかった身長も、今やユキに並びそうなくらいだ。人間が成長する理由などとっくに理解してはいるものの、機械の身である自分との違いをみせつけられているようだった。そして彼の行動もまた、機械の身では成し得ない、人特有のものである。
和希がユキに覚えさせる書物は全て、恋愛に関するものだった。子どもに向けたような恋についてのお伽話から、彼の年齢ならば読むことも許されないであろう官能小説、実用書に似た形式のものまで様々である。しかしテーマだけは決してブレることなど無い。
『これで、僕のことを手助けして欲しい』
旦那様にも奥様にも内緒だという約束だ。しかし、ユキの主は和希ではなく若い夫婦だったのである。当然のように報告はしたし、どうするべきか指示を仰ぎもした。本には対象年齢というものがあり、当時はまだ十にも満たなかった和希に相応しくないものが大半を占めている。性に目覚めかけた子どもがアンドロイドを使って有害書物を手に入れないためにも、相談するようにプログラムされていたのだ。しかし、旦那様たちはそれを子どもの恋愛ごっこだと笑った。そして、どうか小さな息子の力になってほしいと頼まれた。もちろん、性的なデータに関しては然るべき時が来るまではぐらかせとの命令が下ったが。
「ユキ君はそろそろ、恋についてわかった?」
和希の細い指が、ユキの真っ白く冷たい手の上に重なる。瞳を動かさずにカメラだけを使って和希の方を見やれば、彼の頬はいつものように赤く染まっていた。心拍数の上昇や興奮状態も確認できる。通常ならば休養を勧める状態だ。しかしそれをしないのは、恋愛感情による作用であると知っていたから。
「お願い、わかってよ」
コンピュータの動作音は耳障りというほどではないにしろ、そんな些細な声をかき消すには十分だった。自分に必要な知識をアンドロイドに覚えさせに来ただけの人間が、大人しく座っている少年の行動に注目するはずもない。和希は飛び抜けて頭がいいわけじゃないが、馬鹿な人間というわけでもないのだ。悪目立ちする行動を取ることはしなかった。ただ、雑音に自らの思いを溶けこませて、隠すことへの苦しみから逃れようとしているのだ。
基本的には人間に好まれる容姿、即ち若い美形として作られることの多いアンドロイドだ。人格形成期などに一緒にいては、異性タイプの世話係に惚れてしまうことも珍しくない。もちろん話しやすいという理由も大きいが、そういった間違いを避けるためにも子どもと同性型のアンドロイドが推奨されていた。高梨和希の家庭も例に漏れず、青年型のユキが買われたのだ。白い肌に華奢な体、水色の瞳は、当時和希が憧れていたヒーローによく似ていたらしい。だからなのだろうか、彼がそんな間違いを同性タイプのユキに抱くようになったのは。
「僕が好きなのは君だ」
告白はこれで三十回目だ。ユキは既に愛を伝える言葉など数えるのに時間を要するくらい覚えているのに、和希はいつも思いだけをストレートに伝える。秘密にしていたことを明らかにするような物言いが今更すぎるなんて気づかずに、苦しそうな顔で訴えるのだ。
はっきり言って、和希は異常だった。少なかった小遣いも高校生の人並みレベルには上がっているのに、その使いみちは全てユキなのだ。こうやって本を読みこませるだけでなく、洋服やアクセサリーの類も買ってくる。たまに自分の服を購入してきたかと思えば、これでユキの隣に立っても笑われないかと尋ねてくるのだ。誰もアンドロイドと主人の容姿を見比べて嘲笑することなどないのに、対等の立場でいたいと無駄な努力をする。顔立ちが整っているものの、まだまだ子供っぽさの残る和希には似合わない服。ユキが進言してやれたらよかったのだけれど、それは出来ないままでいた。人間を侮辱しない程度のアドバイスなら、アンドロイドにだって許されている。実際先ほど隣のスペースを使っていた女性などは、ファッション雑誌を何冊も読み込ませていた。けれどユキは、和希に服装の提案をすることはなかった。和希のことだから、ユキの自己主張を喜んで受け入れてくれるだろう。主人にそこまで信頼されているのは使役されるべき存在の自分たちにとってこの上ない名誉のはずだ。だが、言えなかった。言ってしまえば、和希のいじらしい姿はもう見られなくなってしまうかもしれないから。
「ユキ君、僕の一番大切な人」
違う、ユキは人ではない。人型ではあるが、機械だ。彼と結ばれるはずもない。結ばれていいはずがない。アンドロイドと結ばれて幸せになったと報じられる人間は世界でわずか三人だ。しかもその全てが異性タイプである。悲劇についてはフィクションやゴシップを除外しても、この国だけで何千件にものぼる。そのうちの一つは、和希と同じ男子高校生が、ユキと同じ男のアンドロイドに惚れたというものだった。健全だったはずの青少年を誑かした悪魔を生み出したとして製造元の会社が潰れたという、和希が生まれる前の事件。そのことについて話す和希の両親は、まるで間抜けな犯罪を笑うかのような姿を見せた。ユキは彼らが特別差別的な人間でないと知っている。その反応があくまで普通のものだということを、ユキは理解していた。きっとユキが自分の中に生まれた思いを伝えれば、ユキの大切な主人たちはみんな、不幸になってしまうのだ。成人前の若者が禁忌の恋に憧れる姿なんて、娯楽小説にはよくある展開だ。子育て関連の書物に書かれていることだってある。だからそのうち忘れるだろうと思うしかなかった。たとえそれが何年続いたものであったとしても、そう願うことしかできないのだ。いいや、本当はきっと願ってすらいない。和希の美しく淀んだ思いの対象が自分から外れてしまうなんて、きっと耐え切れないから。
「ユキ君」
「カズキ」
「うわっ!? お、終わった?」
和希の言葉を知らなければ、この気持はきっと目覚めることなどなかった。全てはユキの罪なのだ。ダウンロード中の動作停止が起こらなくなる実験的なアップデートなんて、誰にも言わずにいたユキの。きっと何億の本を読んだところで生まれることなどなかったであろう気持ちを生んでしまった、愚かで卑怯なアンドロイド。
「はい。カズキ、女性は頭をなでられると喜ぶらしいです」
「それ、もう五回くらい聞いたよ」
「いいえ、七回目ですね」
「このっ!」
立ち上がった和希は、笑いながらユキの髪の毛をグシャグシャにする。両手をユキの頭に置いて見せる笑いから読み取れる感情は、喜怒哀楽の三つ目だった。
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