匿名4番さん (1/1)
こんにちは。
日高ショーコ先生の憂鬱な朝についてです。
桂木はどのタイミングで暁人の事を好きになったのでしょうか?また、どこを好きになったのでしょうか?明確な表現はされていますか?
教えていただけると幸いです。
匿名4番さん (1/1)
桂木本人も「何時から好きになっていたのだろう」と自問自答するので
明確に落ちたシーンは無いと思うんですが、
おそらく、幼い暁人様を育てているうちに精神的に絆され
「お前と一緒にいたいだけだ」と言われた2巻の馬車のシーンで落ちたのではないかと思います。
桂木にとって暁人様は憎しみの対象であり、庇護の対象であり、恋愛対象であるので
感情がグラデーションになり本人にも感情に名前をつける事が難しいのではないでしょうか?
匿名3番さん (1/1)
良い作品ですよね~♪
未だに読み返してため息をついています。
こんなに深いBLがかつてあっただろうか・・・
世の中の人全てに読んでもらいたい
大好きな作品です♪
出会えてよかった♪
匿名2番さん (1/1)
実は昨日、初めて憂鬱な朝を読みました。(一気読みです!)
素晴らしい作品に出会えて感無量です。
読み終えて思うことを述べます!
もう出会う前から、憎しみというある種の執着は始まっていたのかなと思いました。
愛憎→愛情への変化をすごく丁寧に作り上げてらっしゃるなぁと思います。
だから、読者に分かりやすく「タイミング」は見えてこないようになっているとは思います。本人も無自覚で…
強いてタイミングをさがすなら、暁人のむき出しの感情に触れたことからなりじわじわと変化していったのかなと思いました。
暁人の父から見切られた身としては、暁人から向けられる執着は悪いものではなかったはずですし…
ありきたりな言葉で言えば絆され系ですかね?
こんな余白も「憂鬱な朝」の魅力ですね♪
日高先生も自らを「考察厨」とおっしゃっていたので、こんなに余韻を楽しめるのだと思います。
とにかく大人買いしてよかった作品No.1でした!
読み返します~。
匿名1番さん (1/1)
>>1お返事遅くなってしまい、すみません!
何度読んでも理解が出来なくて、苦しかったんです。ありがとうございました!
7巻で、桂木自身が『いつから好きだったんだろう』と
自問自答しています。
2巻の時にはすでに好きになっていると私は思っています。
でも、素直に好きと認めたくない感じが半端ないです。
そこが萌えポイントですね・・・
暁人様を好きと認めてはいけない!みたいに感じます。
そこが切ない・・・・
たぶん、暁人様のまっすぐに『好き』って言ってくれる言葉に
感銘を受けたのかもしれません。
8巻では、『愛も情もしらなかった』と桂木が言っています。
ただ単に、桂木を求める人は、自分の母と同じように
顔と体だけで、一時を楽しんでるだけだと思っていたようです。
あんだけ綺麗な人が居れば確かにお金持ちははべらせたくなるでしょうね・・・。
4巻でやっと桂木が『好きです』と告白し、暁人様と
共にいようと心に決めてからの桂木がたまりません。
私も大好きな作品です。