匿名2番さん (2/2)
小説の新装版が出るにあたって、担当される絵師の方が変わることがよくあると思うのですが、そもそも登場人物の姿形についても原作者の方のイメージはあるけれど、演劇の配役と同じでイラストがその人物そのものを必ずしも写しているわけではないのかなと最近考えるようになりました。みなさんは小説のイラストはどの程度、作中に登場する人物と一致していると思いますか。
匿名2番さん (2/2)
>>3
ご回答いただきありがとうございます。もしかすると、分業していることが疑問を持つに至った要因なのかも知れません。時間を置いたら、少し気持ちも落ち着いてきました。
匿名3番さん (1/1)
私は殆ど内容と絵柄を別々で楽しんでます
素晴らしい挿絵だと本当に見惚れちゃいますしレーターから興味を持って購入もしますが、外国人と日本人の差や体格差が文章と合ってなかったり、男らしさとか服装とかピッタリと感じることがあまり無いです。古い作品ですと文章より絵柄の方が余計時代を感じてしまうので飛ばしてしまっています。
人外キャラだったり、エッチなシーンで体位がいまいち分からない時(笑)に挿絵があると助かります。それにしてもキャラだけでなく背景しっかり描かれている方が好きです
匿名2番さん (1/2)
>>1
ご回答いただきありがとうございます。私の場合は絵師さんが一貫していたとしても、文中のキャラクターをイラストの人物が演じているように感じられるのです。時間が経つにつれて、絵柄が少しずつ変化していくことは常なのですが、それは役者さんが年齢を重ねたり、メイクの仕方が変わったのかなと思ってしまいます。
匿名1番さん (1/1)
私は想像するための手がかり程度に思っています。
たとえば漫画やアニメのキャラデザだったり実写における演者の見た目は、それが公式のデザインとしてキャラとは切り離せないものだと捉えてますが、小説の挿絵はそれらよりもこちらが受け入れるか否かを選択できるものと捉えています。
ですので、挿絵が気に入ったら想像する上で採用するし、気に入らなかったらフル無視しています。
ちなみに例に挙げられてる演劇における配役についてはトピ主さんの考えと反する意見なのですが、キャストが人物そのものを表す媒体になっていると私は考えています。作者や観客が好む好まざるに関わらず、舞台の上ではキャストを通してでしかキャラクターが表現されないからです。原作からの乖離とか個々人にとっての解釈違いはあったとしても、その舞台の中ではその役者がキャラクターを定義していると思います。
しかし小説ではキャラクターを定義するのは文章です。挿絵がなくても頭の中でキャラクターが動きます。だから挿絵の支配力は他の視覚的なメディアでのそれほどは絶対的でないと思います。
一つのキャラクターを異なる役者が演じたり、異なる作画で描かれる
= 一つの正解がなくなる、ということはどれもが本物ではない
一つのキャラクターを一人の役者だけが演じたり、決まったキャラデザでのみ描かれる
= 絶対的な正解がある、だからそれが原作のキャラそのものである
トピ主さんはこういう理論なのかなと思いますが、キャラデザにバリエーションのあるかどうかはそのデザインが原作と一致したものかどうかを判断する材料とは私は思っていません。
ただ、一つしかないものは絶対的正解になる感覚はわかります。二つ目のバリエーションが生まれて初めて、一つ目のデザインが絶対的なものではなったように感じ、実は最初から一つ目のデザインだって絶対的なものではなかった? という疑問が生まれたのかなと思いました。
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