匿名2番さん (1/1)
魔道祖師の藍湛は、15年前は魏嬰への好意がうまく表現出来ず、魏嬰は藍湛に嫌われていると思ったまま2人は別離を迎えましたよね。
魏嬰が亡くなったあと、藍湛は後悔の念にかられてたと思いますが、この場合藍湛は攻めザマァ(?)に当てはまるのでしょうか?
献舎後は後悔を踏まえて、魏嬰に対してとても優しく大切に扱っているので、当てはまるのかなと思いました。
大半の攻めザマァと異なり、藍湛はクズじゃないので、ザマァという言葉は違うような気もするのですが、見解聞かせていただけますと幸いです。
匿名2番さん (1/1)
>>1
回答ありがとうございます!
攻めザマァの成立条件、頷きながら拝見しました。
罪、過失の積極性は読者によって感じ方が異なるので、一概に結論が出せませんが、積極的ではなくても、藍湛の言動が魏嬰には好意とは真逆の感情として受け取られているので、私は攻めザマァの要素を感じたのだと納得しました。
たしかに、薜洋はザマァでしかないので笑いました笑
匿名1番さん (1/1)
ザマァについて考察したことがあるのですが、その構造があると私は思ってます。
まず前提としてザマァと言われる効果が成立する条件は
①何らかの形で力を持つ攻めである (弱者ではカタルシスが生じない)
②攻めに何らかの罪あるいは過失があり受けが傷つく
③攻めが受けを失うという形で報いを受ける
この3つを満たすことだと思っています。
①と③は満たしてるとして、②の "罪あるいは過失" については読者にとって受け止め方が変わると思いますが、私はそれに当たると思っています。
藍湛は魏嬰のことを積極的に害することはほぼしていないと思いますが、彼の置かれた立場に気づけなかったり、十分な手助けをしなかったことは、人としては全く悪くないですが、攻めとしては消極的な過失であると見るからです。
これはだいぶ偏った個人的受け攻め観(受けモンペ寄り)が入った考えなので異論はめっちゃあると思います。
結局判断ポイントは「藍湛のしたことが罪あるいは過失にあたるのか?」だと思います。
あたると読者が思うなら、ザマァの条件を満たすんじゃないでしょうか。
余談ですけど、この "罪あるいは過失" の強度がそのままザマァの強度にも反映されるのですが、藍湛の過失はこのジャンル(?)においてはそこまでの強度ではないと思います。積極的に傷つけてないので。そこを言うと薛洋は暁星塵に対して積極的に大罪を犯しており、①〜③のザマァの要素を満たしているので、エグい強度のザマァが発生してると思います。
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