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リアルな高校生の日常を描いた「セブンティーンドロップス」と対極のような幻想的な作品です。 他人の心の声が聞こえるということに振り回される男の話ですが、現実にしっかりと目を向けながらファンタスティックな要素を加味した山田太一作品を彷彿とさせます。 選り抜きのサラリーマンであった主人公余村が、人の声が聞こえるというだけで滑稽なほどダメになります。声を聞こえることを逆にいかして、のし上がっていくこともできそうですが、砂原先生は弱い人間に仕立て、主人公余村の戸惑いや、余村をとおしての表と裏の顔を使い分ける人間という生き物への不信感を書き上げます。 本音と建て前を都合のよい使い分けることは社会生活を続けていく上で不可欠なことだと思いますが、他人の声が聞こえる主人公には、許せない嘘だったのです。 本音と建て前を使い分ける汚さを、悪意をもつ心の声として描き、その醜悪さを主人公をつかって嫌悪する作者の純粋な所も、思春期の読者に支持される所以かもしれません。 そんな主人公を救うのは、心の奥からの深い愛です。駆け引きも何もない、ただひたすら真っ直ぐに届けられる長谷部からの好意は、余村を突き動かし、男性どころか、人間さえも好きになれなかった余村を、蘇らせることになります。 ただ真っ直ぐに向けられる長谷部の好意に浸っていた余村ですが、長谷部に自分の力を打ち明けた途端に、二人はぎくしゃくとしてしまい、ここから話が急展開します。 「深い愛がすべてを救う」でおわらないところが、この作品のおもしろさでもあります。 心が読まれる恐怖と、それでも余村のことを好きだという長谷部の感情。くるくると変わる感情に長谷部を信じることができなくなった余村は、戸惑いのまま長谷部を拒絶します。 くるくると揺れ動く心の声が聞こえる余村も、余村の気持ちが理解出来ない長谷部も、二人ともに同じように不安をかかえて生きていると言葉を交わすことではじめて理解しあえるのです。 言葉を交わし、わかってもらおうとアクションをおこすことの大切さが描かれます。 そして母親から仕方なく引き取ったと告げられた言葉に傷つくというエピソードがありますが、駅のホームで寄り添う親子をみて、それでも愛おしいという感情も母親にあったのだろうとはじめて思うことができる余村。人間は悪意も好意もずるさもなにもかもを内包した存在だと、人間の存在自体を許せるようになるのです。 ここからネタバレ 後半は、急に他人の声が聞こえなくなった余村の戸惑いや不安が再び描かれます。あれほど嫌っていたのに、いざ聞こえなくなったら途端に不安になる余村の姿がこれまた滑稽で、再び長谷部の心の声が聞こえだしたのかと思わせるラストには、余韻があり、BLという枠におさまりきらない文学性の高い作品です。
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