紺野キタ氏は時間経過を織り込むのが上手い作家であるような気がする。年齢と共に髪型や服装や体型が変わり、しわが刻まれていく登場人物を、ちゃんとその人であると認識できるような形で提供してくれるので、短編作品でさえ作中人物の人生に寄り添ったという満足感が喚起される作品が多い印象がある。 ところでオヤジの良さを一言で表すならば、何と言ってもその人物像ににじみ出る人生そのもの。紺野氏の描く繊細な青少年はもちろん非常に魅力的なのだが、中高年の魅力は上に述べたような理由で一層格別なのである。 さて、本作はコミックス『日曜日に生まれた子供』(大洋図書)に収録された30ページの短編作品である。このコミックスの表題作も十分魅力的なオヤジ受け作品(受けの推定年齢40歳前後)なのだが、『先生のとなり』は「オヤジ」のハードルを軽々と越えた特筆すべき「ジジイ作品」、驚くべきはその年齢設定である。「約10歳差の年上受け」というだけなら今時かなりの作品数があろうが、50歳代×60歳代という作品はおそらくこれまで殆ど描かれていないのではないか。しかしキワモノ感は全くなく、むしろかつて某台所洗剤のCM に手をつないで登場した老夫婦達のような、何とも穏やかで微笑ましい雰囲気が漂っている。 物語の舞台は数年ぶりの小学校の同窓会を兼ねた花見の宴席、オールバックにスーツ姿の50がらみの主人公・嶋田直也は仕事のためやや遅れて登場する。一方、6年時の担任であった平坂先生は当時新任教師であったとしても 10歳以上年長であり、現在の推定年齢は60歳超、白髪・痩身の紛う事なき、しかし矍鑠とした老人である。ある同級生は先生のカーディガンのボタンの掛け違えを直す直也の姿を見て「世話女房みたいだ」とからかい、またある女性の同級生は、先日美術展で平坂先生を見かけた際に近くにいた中年男性が直也だったことに気づいて「かつての恩師と気のおけない友人関係になれるだなんて」と羨ましがる。しかしさすがに、直也と先生が実は恋仲であることに気付く者は誰一人いない。同窓会がお開きになり「先生なら俺が送るよ、家も近所だし」と宣言したあとは二人だけの時間となる。 小学校時代の夏の日、逆上がりができなくて居残り特訓をさせられ、悔し泣きする直也に優しく語りかけた先生。現在の直也を評して「こんなしわぶれジジイをエロ眼鏡で見るのは、何の呪いだろうな」と少し困った表情を見せ嘆息する先生に対し、直也は「あの夏の日に、先生を一人の人間として意識したんです」と答える。約40年分の思いが、この場面の抱擁に込められている。 物語ではこの場面より前、同級生に「先生との友人関係」を指摘された場面からの回想シーンとして、直也が先生に想いを告げる場面が描かれている。ここについて、物語構成上は「妻に去られた30代のサラリーマンが、かねてより慕っていた40代の恩師に想いを告げる」部分を柱にするという選択肢もあったと思うのだが、紺野氏はそれを選ばなかった。激情を伴う部分をさらりと流して、二人の人生の結末に近い部分に焦点を当てる。淡々とした中に描かれる、桜のように仄かだが長年育まれた確かな愛情が、非常に心地よい。その結果として平坂先生の水を飲みながら口元から零してしまう姿さえ愛おしく感じられるのだ。 本作には同人誌による続編『Worry About You』があり、平坂先生の息子かつ直也の部下・平坂青藍の視点で父親と上司の関係が描かれる。従って直接的な描写は殆どないものの、「色気丸出しの老いた父の姿」というものが息子にとっていかに強烈なものであるかが思い知らされる、なかなか衝撃的な作品である。本編より甘く、息子により「バカップル」と評されるジジイ達の様子は一読の価値ありと思われる。