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満は、幼い頃に母親を亡くし医師である父とふたりきりで暮らす高校生。 クールな優等生タイプで、どちらかと言うと人付き合いも苦手だった。 そんな彼に、明るい人柄でややノーテンキな浩一は「黙り相手でもいいから友達になってほしい」とお付き合い(?)を申し込んだ。 満の沈黙を承諾代わりに、昼休みになるとふたりで弁当を食べるようになり、だんだんと親しくなっていく。 いつしか(たぶん浩一の方は初めから)友情以上の好意に形を変えた二人の関係は、ある朝、突然に断ち切られそうになる。 いつもと同じ朝、同じ一日…のはずだった。 雪の積もる道を学校へと向かう満と浩一のもとに、一台のトラックが突っ込んできた。 物語は、そんな朝から始まる。 冒頭でいきなり、主人公のうちの一人が死んでしまうのだ。 いや、正確には死んではいない。 目の前で起きた事故の惨状を認められず、浩一が死ぬなんて有り得るはずがないと思った満。そして浩一もまた、ミッちゃんの傍を離れたくはなかった。 ふたりとも、いつもと変わらない昨日 ―― 永遠の昨日を強く、強く願ったのだ。 その願いの強さが奇跡を起こす。 心臓をはじめ生体としての機能は停止しているものの、それ以外はほとんど変わらないままの『生きてる死体』として、浩一は普段どおりの生活をすることになるのである。 けれど、ふたりに残された時間はあまりにも短い。まるでロスタイムを消化するように、終わりへと向けてストーリーは進行していく。 重い設定にもかかわらず(いや、だからこそなのか)序盤はややコミカルですらある。おかげで、読み手はわりとすんなり話の中に入っていける。 だが、しかし、なのだ。 いつもと同じような日常の中にいながら、もう既に非日常の存在になってしまった浩一は、やがて人々の目には映らなくなっていく。 それどころか、浩一という「生」の喪失は、周りの人々から彼にまつわる記憶すら失わせていく。 「死」というものは、いろんな意味で「無」になることなのかもしれない。 欲望という執着を継ぎ合わせて生きているような人という存在にとって、それはとても怖いことだ。 「死」は「生」と必ず対になっている。生命はとても長いサイクルで循環している。 これは生物教師のタマちゃんの言葉だけれど、その通りなんだと思う。 両者は相反するものに見えて、切っても切れないものでもあって……、この世に生まれたその日から、既に死へのカウントダウンは始まっているのだ。 そう、「死」は決して特別なことではない。生きとし生けるものにとって、「生」と「死」は常に表裏一体だ。 ただ、人は「死」を受け入れることができなければ、生きてはゆけない。 もしも「死」と云うものを認めることができなければ、たぶん人は、そこから先へは一歩たりとも踏み出せなくなってしまう。 悩みながら、時に傷つきながら、理不尽な現実に憤りながら、そしていずれ来る逃れられない別れに怯えながら、少しずつ、ふたりは現実を受け入れていく。 この作品を読んだ多くの読者がそうであるように、私もまたHシーンで、とうとう堪え切れずに泣いてしまった。(通常なら萌えはしても、泣く場面ではない) もう逢えなくなっても、死んでしまっても、忘れないように、互いに互いを刻み付けるように、泣きながらも抱き合うふたり。 哀しい場面なのだけれど、そこには同時に深い感動がある。 好きだから、大切だから、離したくない、失いたくない。 しかし、それが実は自分にとって都合のいいだけの執着でしかないと気付いた時、はじめて、満は現実を認めることができたのだろう。 イッていいよ浩一。 おれは、大丈夫だから もう逝って、いいよ。 そうして、彼は浩一を「生」と云う執着からさえも解き放った。 何度読み返してみても、満のこの言葉に涙が出そうになる。 心を重ね、肌を重ねてひとつに繋がることで、ふたりの愛情は昇華されたのだろうと思う。 物語は、その一年後、桜吹雪の中に佇む満を描いて終わる。 浩一。 おれ、大学生になった。 その時、彼はどんな面持ちでいたのだろうか。 山田ユギ氏のイラストでは、満開の桜の木を見上げながら眩しげに目を眇めた満が描かれている。 その口元は、かすかに微笑んでいるように見える。 2002年の作品で、残念ながら今のところ絶版。 しかし、復刊を希望する声が多く、いずれまたそう遠からぬうちに店頭に並ぶ日が来るだろう。 もし、あなたがこの本を見かけることがあったなら、どうか是非、手にとってみてほしい。
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