本作はマイノリティの可視化・偏見からくる差別を描いていますが、読者側がフィクションに頻出する偏見まみれのカルトにハマるヤバい母親像を共有していなければ、まるで作品に共感できない点に疑問を覚えました。
春一の母親がハマっている宗教が結果として教祖(永真)への虐待を容認する教団だったという点だけで、母親自体そこまで糾弾すべき人間だったのか正直疑問です。
息子の春一にも同じように敬虔な信者であることを望んでいる=個人の信仰の自由を抑圧しているという点ではたしかに批判すべきところもありますが、ではイスラム教徒の親がムスリムの生活に合わせて子どもを育てることは個人の信仰の自由を抑圧していると、その一点のみで作者はイスラム教を批判できるのでしょうか。
作中、春一の母親が教団に多額のお金をつぎ込んでいたとか、家事を一切しなくなったとか、春一や兄に暴力をふるっていたなどという描写は一切無く、また教祖が教団幹部によって暴力を振るわれていた事実を知っていたかも定かではないため、読者側が「カルトにハマるヤバい母親」という漠然としたイメージを春一の母親に投影しなければ、春一の母親のヤバさが際立たないことに居心地の悪さを感じました。
それで作者はあとがきにて『宗教の問題は、偏見が強く社会から隔絶されがちです。信者も2世も搾取されず取りこぼされない社会になってほしいです。』なんて殊勝なこと書いているの、偏見のマッチポンプとしか思えませんでした。
直接的な虐待じゃなく母親との価値観の違いゆえ抑圧される春一を描いていたとしても、そもそも春一の母親が宗教にすがる前に親戚に頼ることはできなかったのか、なぜよりによってこの教団を選んだのか、教団に入信したのはいつなのかが不明なため、こんなディティールの甘さで抑圧される春一の苦しみを描かれても伝わらないというか…結局母親が「良いお母さん」から逸脱していることを疎ましく思っているだけじゃない?と思えてなりませんでした。
極端なことを言えば母親のハマった先がイケメンアイドルでも春一は同じように母親を疎ましく感じていたのではないでしょうか。
そもそも教団の設定がふわっとしすぎていて緊張感が無いというか…だって教祖である永真は作中奇跡を起こすわけでも、人心掌握に長けているわけでも、ましてやカリスマ性があるわけでものないので、なんでこの教団成り立っているの?という疑問がつねに付きまとい、とてもじゃないですがリアリティを感じられませんでした。
とはいえ私も真面目に作品を読んでいましたが、クライマックスに教団創設者と思われる男性が突然数コマ登場したことで一気に冷めてしまいました。
作者のブログによると彼は永真の父親だそうで、永真の母親が法の裁きを受ける結果になったことに対し、諸悪の根源である父親は思い出の中の美しい存在として描かれていることが、新生児遺棄事件で母親だけが罪に問われ父親の責任が不問にされている現実を想起させ本当に受け入れられませんでした。
作品全体に「母親」に偏見を植え付ける描写があるため、アロマンティックや宗教2世といったマイノリティの理解の為にわざわざこの作品を手に取ったお母様方がこの作品の母親描写を真に受け、自分を責めることがないよう願うばかりです。