一穂ミチ先生の作品では「イエスかノーか半分か」のシリーズが好きすぎて、他作品へ手を伸ばすを躊躇っていましたが、
今回は結果的にあたりでした!
「天国でも、地獄でも、真夜中のサービスエリアでも。」の一文に、
「イエスかノーか半分か」の根本を見たり…!とひとりはしゃいでおりました。
教師と生徒ものに起こりうる問題に(他の生徒の電話は聞かせない、一緒に居る時に仕事をしないとか)、きちんと線引きしている。イエスノーでもそうでしたが、お互いの本分を尊重し合っていて、とてもいいなぁと思いました。
詩緒がだだをこねたり拗ねたりしないあたりは、大人に心情を晒すのが苦手故だからちょっと切ないですけど。
子供だったから、わがままを言えなくて身動きが取れなくなった志雄と、
子供だったからわがままを言って突っ走っちゃった桂と。
本質的に真逆のふたり。
(本編でも言っていたように「同じクラスにいたとして、口もきいてくんなかったと思う」そんなふたり)
教師と生徒である今に出会ったからこそという関係性にとても萌えます。
結城家の両親が言ってくれなかった「諦めていいよ」と言ってくれる人が詩緒には必要だった。
諦めていいよ、って許されて初めて、「諦めたくない」と気付けることもきっとあるので。
「諦めたくない」「好きでいたい」と言うそんな詩緒の姿に、本当は自分もそうでありたかった桂が絆されていく。
詩緒が許される、報われることで、昔の自分も報われた気がしたのでしょう。「救ってもらった」とかつての思い人に溢したとおり。
教師であり年上の桂が、守る立場である詩緒に「救ってもらった」「幸せにして」と言葉にするの、とてもとても美味しい…可愛い…。
心で抱くタイプのかっこいい受け、詩緒ちゃん。
そしてそんな受けに首ったけの攻め、という組み合わせが、ああ一穂ミチ先生の作品だなあ、好きだなあっと感じました。
色んな事がその後ふたりに起こるのでしょうが、
桂のなりふり構わない行動力と、大事なものはしっかり大事にする詩緒の頑固さで乗り越えていって、そして幸せでいて欲しいかぎりです。