WEBサイトで読んだ当時、眠る時間も忘れて読み耽った作品です。
ずっとずっと紙の本になることを祈り続け、やっと実現して感無量です。
この作品を未読で「中庭みかな」という作家さまを評価しないでいただきたいと思うくらい最高傑作だと思います。
中庭みかな作品といえば不憫受けだけど、それ以上に創の健気なところが私には萌えました。
創が誰と結ばれるのかドキドキしながら読み進めたのだけど、まさかの展開に大歓喜。
この展開には好みが分かれるところだけど、私には大大大好物でした。
人を選ぶ作品といわれるけど、私は敢えてこういう作品を選んで読みたいです。
せっかくなのでひとこと。
瀬越先生には責任を持って最期まで創を見守っていただきたいです。スピンオフで誰かと幸せに…なんて許しませんからーッ!(笑)
私、小説を読む上で登場人物の一人称が何かで好みが加速するタイプなんですが、この作品でまた新たな扉を開いちゃったので是非ご紹介させてください。
主人公のリディル王子の一人称は予想だと『私』もしくは『僕』『俺』あたりですよね。身代わりとして嫁ぐなら『私』が有力候補かと。
正体がバレた時点で一人称がかわる可能性もなくもないなと思っていたんですが側近イドとの会話で『私』とあったので日頃から『私』なのだとわかります。冒頭の父王との会話でも『わたくし』なので大きくかわることはなさそうだなと。
この時点で私の萌えポイント点灯しました!
リディルの聡明さや謙虚さが伝わり、甘々なタイプではなさそうだと感じたからです。やったね!私の好きな受けタイプだ!と。
さらに神ポインをつけるには攻めであるグシオン王の一人称がどうなるかにかかっていました。
この一人称で王の性格もある程度わかるはずなのです。わがままや横暴なタイプなら『俺』や『私』とか。でもリディルが『私』なので、できれば『私』ではない方が読みやすい。リディルより年上なので『僕』もちょっとタイプじゃないなぁと思っていたんですが、尾上先生が何をチョイスされたと思います?
なんと『余』ですよ!
でも、まだ私は驚かなかった。公の場で王が『余』と言うことはこれまで読んだ小説にもありましたから。
閨での場面や受けと想いが通じ合ったら素の一人称がでるやつでしょって思ってたんですよ。それがあらあらまぁまぁ最後まで一貫してこの王は『余」だったんですよ!!
この一人称チョイスが素晴らしいと思ったのは実に王の『らしさ』をあらわしているにもかかわらず、素が見えるようで見えない絶妙な一人称だったからです。
ストーリー展開をよませず、さらに王とリディルが絶妙な距離に感じるのはこの一人称のチョイスがあったからではないでしょうか。
ちなみにリディルもクライマックスシーンで『私』ではなく『余』を使います。これがまた効果的で凛々しい!
リディルと王の想いが通じ合ってからの王が『余』と話すたびに甘い言葉の中にさらに王としての威厳が伝わるような、、、とカッコよさに惚れ惚れしていたらラストのセリフですよ。やられましたね。
私達をどうしたいの(笑)
もう、この王じゃなきゃ物足りない!
私、イル・ジャーナの国民になります!!
是非、皆さんもリディルと一緒にグシオン王に骨抜きにされてください!