ちょっと……なんですかこの漫画……なんなんですか……
「切ない恋愛漫画」って、まぁ簡単に言ってしまえばそれはそうなんですけど……!!こんなにも自分の過去の恋愛のつらい記憶がオーバーラップしてくる漫画は初めて読みました……読んでる間中、ずっと心臓を握りつぶされてるみたいに胸がキリキリしました。この感覚もまさに恋愛で苦しんでいた当時の痛みとそっくりで……水城先生の作品は恥ずかしながら初めて読んだのですが、こんな漫画が描けるなんて、敬愛を通り越してちょっと恐ろしいです。一体どんなメンタルしてたらこれを描き切れるんでしょうか……。
私の恋愛の経験は特別珍しいものではないので似たようなシチュエーションの漫画は世の中にいくらでもあります。そんな中でこの漫画が特に似ているというわけではなかったのに、「あ、この気持ちわかる。知ってる」と思うシーンが他のどの漫画と比べてもすごく多かったです。
私は読みながら特に今ヶ瀬に感情移入していたので、恋愛で好きな人と同じ方向を向けていないもどかしさとか、いまのこの瞬間が終わったら愛した人と二度と会えなくなるんだと実感しながらの「好きだったなぁ……」のつぶやきとか、好きな人のささいな仕草や言葉尻や勝手な妄想に死ぬほど傷ついて感情のコントロールがきかなくなってしまうこととか、好きで好きでしょうがないのに相手の態度が冷めていて気が狂いそうになるのとか、なんかもう……ほんとに挙げきれません……。書きながら泣けてきました。相手に未練は全くなく会いたいとも連絡したいとも思わないのに……。
そしてラストシーンの大伴のモノローグ、言葉選びも作画の間の取り方も本当に素晴らしいです。永久に続く愛なんてどこにもないけど、いま自分は自らの意思でこの人と愛を続けていこうとしてる、という決意を表すものとしての指輪なのかなぁ。大伴と今ヶ瀬の感情を想像するために、一文字一文字なぞるように何度も繰り返し読みたくなる名シーンですよね。読み手の私は今は元恋人に未練も何もないけれど、当時の孤独で傷ついていた私が少し浮かばれたような気がしました。
このさき一緒にいることでまた傷つけ合うこともありそうな二人ですが、どうか幸せになってほしい……いや、たとえ幸福より苦しみや悲しみの分量が多かったとしても、一緒にいることを選んだ二人にとってはそれが正解の道なのかな。でも、どうか穏やかな日々が1日でも多くありますようにと願わずにいられません。
読みながら私もかなり傷付きましたが、本当に読んでよかったです。
この作品、本当に大好きで何度も読み返しています。人間関係の旨味がギュッと詰まった作品です。
生きていくことは基本的につらくて苦しいことだと私は思っていますが、どうせ死ぬまで生きなきゃならないならいっきくんと唐木田さんみたいな関係を築ける人とたくさん出会いたいものだなぁ、とうっかり思ってしまいました。
素晴らしい作品なので、関係性が丁寧に描かれた作品や余白を想像するのが好きなタイプの方はぜひ一度読んでみてください。
いっきくんは、他人に対して性欲を抱かず、自慰行為も(ほとんど)しないノンセクシャルの青年です。職場の上司である唐木田さんに20代半ばにして生まれて初めての恋をします。
いっきくんの5つ年上の上司・唐木田さんは、いっきくんと出会った当時は遠距離恋愛中の彼女がいる異性愛者。モテるし相手の好意を察するのが上手だけれど、来るもの拒まず、去るもの追わずな恋愛観の持ち主です。
このふたり、もともと自分に対して「自分のここはきっと変わらないだろう」と思っていた部分があるんですね。
いっきくんは、人に恋愛感情を抱かないことと、人と性的な行為ができないこと。
唐木田さんは、来るもの拒まず去るもの追わずなところと、恋人にストレートに愛を伝えるのが不得意なこと。
ですが、いっきくんが唐木田さんに恋をしてふたりの人生が交差し始めたことで、諦めに近いようなこれらの“自分に対する固定観念”が、物語の中でどんどん壊れていくんです。
私は“自分に対する固定観念”が壊れていくことが人と関わることの恐ろしくもあり素晴らしくもある部分だと思っています。この作品ではそれがすごく丁寧に誠実に描かれていました。それはつまりいっきくんの言葉を借りれば「世界がひっくり返る」ことであり、良い方向に「世界がひっくり返る」と、なんてことないはずの風景がすごくキラキラして特別にみえたりするんですね。
去るもの追わずな恋愛スタイルだった唐木田さんは、いっきくんに別れを告げられたあと、一度はすんなりと受け入れたふりをしますが、数週間後に自らいっきくんの家に赴いて「別れたくない」と伝えます。それ以降は、今までの恋人にはしてこなかった「自分の言葉でまっすぐ愛を伝える」ことを、いっきくんにつっこまれたり赤面したりしながらも積極的にするようになります。恋愛に自信のないいっきくんを安心させてあげるために自分に何ができるのか、考えた末に自分の中のプライドと向き合う決断をしたのでしょう。
いっきくんの方も、はじめは「ばけもの」に襲われるだけの恐ろしい時間だった唐木田さんとの性的接触が、自発的にフェラチオをしてみたことで「自分がしたことで好きな人が感じる姿はかわいい」と初めて気づくことができます。
唐木田さんにのしかかられて青ざめていたいっきくんが、物語後半では唐木田さんのあごにキスをしながら「オレのこといかせようとしなきゃ…なにしてもいいよ」とまで言うようになるんです。これはきっと、いっきくん本人でさえも「なんか想像しなかったところまできたなぁ」という感じだと思うんですよね……(感動)
ノンセクシャルの人は性的な行為の全てがダメなのだと私(非当事者)は思っていましたし、いっきくんも当初はそう考えていたと思いますが、「これは嫌だけど、ここまでは大丈夫」という範囲がある場合もあるんですね。(もちろん相手との関係性や気分によっても変動があるかと思いますが、それは性欲のある私たちも同じです)
いっきくん自身にとってのその大丈夫な範囲は、相手が自分をいかせようとしないことや能動的に行為をしてあげることなんだ、と唐木田さんとトライアル&エラーを繰り返して発見していったのでしょう。
唐木田さんとの関わりによって、いっきくんの世界から気持ち悪くて恐ろしいのモノが一つ減ったことが、本当に喜ばしいことだなぁと思いました。
そして唐木田さんも、性欲のある私たちが持ちがちな「恋人ならば挿入を伴うセックスをすることが幸せなことである」という固定観念のかたちを、いっきくんのかたちに合うように少し変形させ、自分のためにエロいことをしてくれる女の子たちではなく、自分の意思でいっきくんと一緒にいることを選びました。
“普通”の恋人たちのようにセックスができなくても、個展準備で忙しくしているいっきくんに1ヶ月塩対応されても、唐木田さんの目に映る世界は晴れやかできらめいています。“普通”は恋人にやらないとされている行為をされても、それがいっきくんの愛情を測るものさしにはならない、と心から納得できているからです。唐木田さんの世界も、いっきくんの登場によってひっくり返ってしまったんですね。
“普通”から外れた人をおかしい、可哀想と言う人もいますが、世界がきらめいて見えるほど幸せなふたりの、いったいどこが可哀想でしょうか。人間関係は、同じ名前がついていても人が変わればその様態はまったく異なります。固定観念にとらわれずに「いっきくんと唐木田さん」という世界にひとつしかない関係性を作り上げたふたりは、本当にすごい。
はっきりと描かれてはいませんが、きっと葛藤もあったはずです。悩んで苦しんで、それでも一緒にいる選択をした。そんなふたりを想像すると、また一段とこの作品が愛おしくなります。
ここで描かれているふたりの物語は、世界にとっては非常にミクロな出来事でしかありません。しかし、彼ら自身の人生との付き合い方をガラリと変えてしまう、とてもかけがえのない出会いだったのだと思います。恋の始まりはありふれていてロマンチックなものではありませんでしたが、その先にはふたり自身も想像もしなかったような広がりがありました。
いつかふたりが別れなければならない時が来たとしても、一緒に過ごした時間はお互いとってかけがえのない、忘れられないものになるはずです。