アンデルセンの「人魚姫」を彷彿させるようなお話だ。
―人魚姫は、海上にいる美しい王子に恋をした。嵐に遭い船が
難破した王子を救い出す。人魚姫は魔女と契約を交わし、声と引き換えに
尻尾を人間の足に変えてもらう薬を貰う―
喬一もある契約をきっかけに、素直な恋心を見せない代わりに、
義隆との関係を維持する事を選択する。
―王子は救ってくれた人魚姫を、偶然、出会った娘と勘違いする。
声を失ったので、人魚姫は真実を話す事は出来ない―
義隆は、ある出来事で、喬一に愛憎の感情を抱き苦しむが、喬一は
契約によって、真実を語ることはない
―やがて王子と娘の結婚が決まる。人魚姫は、最後に泡となって
消えてしまう―
喬一の恋は、泡となって消えなかった。ある出来事が魔女役の女性に
よって、真実が明らかになったからだ。喬一と義隆の恋は、光と影を
見せながら、「束縛の呪文」は、唐突に終わっている。
「解放の呪文」は一年後、喬一と義隆の関係性にテーマを持ってきている。
義隆と喬一の関係は、義隆がオレ様的な性格からくる、支配欲や
飽きっぽいところを、喬一がうまくかわす事で成り立っていると
言っているが・・・そうだろうか?と思う。
喬一は、「束縛の呪文」で義隆のとの関係を、「大切なのは、
追い詰めては、いけない」と言っている。
相手をコントロールしたい人は、このような関係を持つ、相手に
ジレンマを感じさせ、相手がそれについて、追求しようとすると、
はぐらかす。そうすると、相手は、2人の関係において、成長しようと
する機会を失ってしまい。相手は自分の価値を、コントロールする相手に
認めさせようとしたりして、未熟な状態から抜け出せない。
「解放の呪文」では、喬一は義隆の事を、批判ばかりしている。
相手の成長を摘み取っていて、昔から変わっていないと、批判するのは、
どうかと、思う。それでも、「束縛の呪文」では、喬一自身、義隆との関係も自分の選択でこうなってしまった。という、自責の気持ちが
感じられたので、喬一の気持ちに共感でき、喬一の切なさが
伝わってきた。喬一と義隆のような関係は、成長していないので、
困った時に太刀打ちできない事が多い。
第3者に頼るか、プレゼントやイベントで、乗り切るしか、術が
ないのであろう。
喬一はHの時は可愛いが、相手を成長させないという点で、怖い執着受だろうと、思う。
「萌」が70点前後なら、「束縛の呪文」が80点ぐらい、「解放の
呪文」が40点ぐらい、平均点60点、ギリ萌という、というかんじ
がした。
この作品、面白い?面白くない?と聞かれると、
ストーリーは面白いが、主人公に共鳴するか?と言われると、
さほど・・・という感じ。話の展開は、面白い。夜の10時から、
読み始めて、夜中の3時半までかかって、読み終えたほど、途中で
止められなかった。
この作品に出てくる登場人物は、自分の事でさえ、他人事のように
扱っているようなところがある・・・例えば、冒頭で、4行の序文の後、
「眼が覚めた時、涼太は病院のベッド上に寝かされていた。しばらく
動けないほど体が硬く、まるで鉄を入れられたようだった。やっと首を
動かすと、ギブスで固定された自分の右腕の向こうに幼なじみの
恭一・・・」とあり、涼太からの読者への恭一の紹介のような文が3行ほど
あり、涼太と恭一の関係がどのような状態なのか、という説明のような文が
12行ほど続いたあと、2ページの終わりぐらいで、「なんで病院いんの?なんで腕、折ってんの?」という言葉に続く。
普通、覚えがないのに、病院のベットに寝かされていて腕が骨折していたら、取り乱すのが、本当だろうと思うのだが、「なんで病院いんの?なんで腕、折ってんの?」この一文、自分を心配している箇所が、
あるぐらいで、淡々と、話が進んでいく。この作品は、こういう展開が
続いていくので、話しは、面白いのだが、
なんだかな~という、気持ちが、残る作品です。
最後に、恭一と涼太が、自営業の夫婦のような、夫は仕事、妻は事務、
のような、関係になっていく、ところも、なんだかな~という気がします。
この作品は、私の想像なのですが、この作者の内なる葛藤を題材として描いているのでは、ないでしょうか。蓮(内なる自分)は、ヤクザ稼業(漫画だけで、生活できないプロ)をやめて、早く1人立ちしたいと、思っていますが、近所の人(読者)や元警部(編集者)は、なかなか、認めてくれません。世間は、蓮を責めたり(批判したり)、白い目で見たり(愛想を尽かしたり)します。諒一(もう一人の自分)は、そんな、蓮の為に、近所の人に挨拶したりしますが、八百屋(本屋)では品物を売って(買って)くれなかったりします。元警部には、世間も裏切る(連載ストップ)と、蓮の気持ちを代弁しますが・・・蓮は何も言わず、元警部のために、お茶を淹れて(漫画を描いて)います。この作品、連の家業・白河組の事は、ほとんど、描いていません。蓮の父が殺され、それに兄が関わっていて、蓮も関係していたのに、説明だけで、終わっています。本来、葛藤するなら、こちらの方ではないでしょうか。それなのに、ヤクザ家業によって、世間から、孤立している事を繰り返し描かれています。多分、白河組関係の事は、話の作成上出てきた事なので、サラッと通してしまったのでしょう。よく、新人作家に見かけるのですが、自分の世界に心酔していたり、自分の云いたい事に目がいってしまい、作品の精度に欠けている事があります。もっと、冷静に作品を見つめなおす必要があるでしょう。
ところで、漫画家一本で頑張るなら、逃げては、ダメでしょう。やっぱり、ここで踏ん張らなくてはいけないと、思います。
語シスコ氏の作品を初めて読みました。
「あて馬ライダー」は、35年前のテレビドラマ「傷だらけの天使(愛称・傷天)」を思い出させる作品でした。35歳以上の人なら、知っているかもしれない、「傷天」も、かなりエロくて、倫理観のない作品でした。オープニング映像で軽快な曲に合わせて、主人公がカメラに向かい、トマト・コーンビーフなどをかぶりつき、最後には、牛乳を噴射させる(放送では、噴射はカット)。この表現テーマは食事は性交を意味し、牛乳は、射精を意味していたらしい。ちなみに、当時は、3時か4時の子供がテレビを見る時間に再放送していた。「あて馬ライダー」も「傷天」も、人の欲やろくでもない処に焦点を当て、目をそらさずに、見せている。そこに人の哀しさを感じずにはいられない。人の美しさや純粋なところには、誰もが目を向けやすいし、受け入れやすいだろう。人の駄目なとこやろくでもない処を描くのは、反感を買いやすいし、こういう作品はさじ加減がむずかしいのだろう、作り手の感性が出る作品だと思う。「傷天」の後もこの手の作品をドラマで見たが、どれもこれも中途半端な作品ばかりだった。BLで「傷天」のような作品に会えるとは思わなかった。感動するという作品ではないが、面白くて味のある作品だと思う。
「MAN IN BLACK」に関しては、天才と奇人は紙一重という名言があるが、その通りだと思う。
タイトルや本の紹介からして、心臓をわしづかみにされるような
切ないお話なのか・・・と思いきや、ホノボノ系なお話でした。
初めて、読む作家さんだったので、(挿絵は、よく見ます)
脱力系って、こういう事ねって、納得
特に、才能豊かな人や、美人がでると、いうお話では、
ないけれど、日常的な共感の持てる作品です。
4年もかかって、連載を続けていますが、ほとんど、
絵柄が変わっていない、
多少、シャープになったのか・・・でも、注意して見ないと、
気が付かないかも、さすが、脱力系、ながされないなぁ
と感心しました。
難癖をつけるなら、番外編は、良行くんの上司のお話ですが、
主人公2人のにゃんにゃんなお話か、
了くんのお兄さんのお話が読みたかったです。