直野さんはリアルに近い絵柄を、ともすれば劇画調になりそうなくらい力強いタッチで描かれる方です。少女漫画風のライトで美麗なテイストが並ぶ中に置くと際立ちます。それでいて人物の容貌は決してとっつきにくくない。
青年のスッキリとした立ち姿、オヤジの少しこけた頬や緩んだ体のライン、誤解やすれ違いで歪む陰鬱な表情・・・いつも引き込まれるようにドキドキします。
が、今回、内心で黄色い悲鳴を上げたところは、なんといっても狼の美しさです。
動物を(犬や猫も含め)描かれる方は多くいらっしゃいますが、これほど美しく、かつちゃんとコマの中に違和感なく収めてくれたことがあったでしょうか! いや、あるのでしょうけれども、私にとっては衝撃的な「上手さ」だったのです。私は猫派で、特に犬や狼が好きというわけでもないので、余計に強く印象に残りました。
主人公の雪のもとに現れた人狼の兄弟、その兄である太狼は、満月の夜以外は狼の形で過ごしています。その姿の綺麗なことといったら・・・。
デフォルメも多用されていますが、それもとても可愛いし、太狼を親しみのある若者にしてくれます。
そしてリアルなシーンでも喜怒哀楽の表情がある。ペットのように主人公の付属物あるいは物語の背景的な扱いでなく、狼の姿でいる太狼自身が重要な登場人物ですから、その美しさは彼が「美形の男性である」ことと同義だと思います。同様に、狼の「顔」に表情を読み取れることで、彼が感情豊かで家族や友人、恋人を真摯に想い、大切にするヒトなのだとわかるのです。
それから弟の次狼が満月の光を浴びて中途半端に獣化すると、ちゃんと人間だったときと同じ場所にケモ耳が生えます。頭のてっぺんにカチューシャみたいに生えている耳は可愛いし、萌えでいうならそちらのほうが萌えます。ですが、整合性が気になってしまうほうなので、途中からかわるのならば、やっぱり元の場所に生えてほしい。
そういう意味でも、私の「痒いところ」に手が届くケモノ兄弟です。
あれ・・・物語にはあんまり関係ないのかな・・・画力の高い漫画家さんで、その絵柄を私が異常なほど大好きというだけな気も・・・。
いやしかし、物語の大半を占める「狼」というモチーフが稚拙なタッチで描かれていたら、全体が台無しになっていたことでしょう!
ストーリーは説明不足に感じる部分もありましたが、私のごくごく個人的なツボをぐいぐい突いてくる一冊でした。
五百香さんのスゴイなと思うところの一つですが、もうキャラや世界観がネーミング一つでわかる場合があるという。このお話もそうでした。
昭和の少女漫画を彷彿とさせる「魔法王国」「ラブリン」「ストロベリー」、そういう単語を堂々と前面に押し出してくる作品はいまあまり見かけないように思います。私は五百香作品を蒐集しているので、ドシリアスやSMものも読みますが、こういう名まえが出てきたときは最初から「うむ、そのノリだな」と了解して取り掛かるようにしています。
案の定というか、ご都合主義だったり支離滅裂だったり、敬遠される要素が満載です。でもそれでいいのです、だって「そのノリ」だと、半ば宣言されているのですから。
キャラの背景や思考を深く掘り下げている部分が少ないために軽薄な印象に陥るのですが、それだけにあまり悩まず軽くなにか読もうかな、というときに向いているのかもしれません。
もちろん五百香作品ですから、Hは濃厚だし受はすぐ「ついていけない」と感じるテンションになってしまいます。私はエロシーンで人が変わってしまうキャラ、とくに相手(主に受)を「ちゃん」づけし始めるキャラが苦手なので、今回も半笑いで斜め読みしてしまいました。
「運命はすべて~」や「狼たち」とはまたちがう、これも立派な五百香作品だと思います。
うーん、なんだろう・・・すごく違和感が残りました。
凪良さんは大好きで、既刊はすべて持っているし新刊は予約します。
もちろん、どんな作家さんでも「全部好き!」ってことはあり得ないので、今回は
私に合わなかったのかもしれません。
死にネタ、幽霊ネタは嫌いではありません。今回も、喪失感や触れ合えない切なさは
グっときました。
文章力の高い作家さんなので、ふとした表現にはじぃんときました。書こうという
より、溢れてくるものを文字にした、って感じがすごく素敵です。
でもストーリーは「どこかで聞いた話だな」から「うん、そうなるよね」「ああ、
やっぱりそうくるか」の連続で。運命の神様のくだりでは、同じようなシーンを
見た気がする、とさえ思ってしまい、どうも冷めたまま読み切ってしまいました。
どこで入り込めばいいのか、タイミングを計っているうちに終わったような。
凪良さんだから最後まで読ませてくれたけど・・・、というモヤモヤ感。
再会までの病院でのお話があるあたりは、「おぉ」と思いましたが・・・多分、
後書きでおっしゃっていることだと思うのですが、手書きのページ? あれが私には
不要に感じました。推理小説など、その字体そのものが必要(錯誤を招くため等)なら
納得ですが、あれで感動を呼べるかというと疑問です。「ほら大変そうでしょ?」と
言われているようで。
プライドの高い令が、それでも汚い字で一生懸命綴った一文。それだけで十分でした。
後日談は不思議が日常になった二人の選ぶ未来が垣間見えてよかったです。が、
登場した従兄が・・・。
だって「運命」だから死んだと思ったときに一佳のところに令は来たはずなのに、
ただ迎え火を焚いた親戚が令だったから来ちゃったの?と。確かに都心では
見かけない風習ですから無理はないのかな・・・うーん・・・。
本編とちがってオチが見えていてもいい仕組みなので、そこは気になりません
でした。
タイトルは発売予定を知り、幽霊モノらしいと聞いてからいろいろ想像していました。
あまり「なるほど!」とくるほどのリンクではなかったと思います。だってお互いに
手紙のやり取りをしたりで、生きていることは知っていたわけですから。本物だと
実感して、乗り越えた様々なものを飲み込むのに必要な三回、だったのかな・・・。
「まばたきを三回」したら「そこに死んだはずの令が幽霊として現れた」、もしくは
「生きて現れた」、「幽霊として現れてくれた令の姿が消えて本当のお別れ」とか・・・
とにかくなにかの合図だろうと勝手に受け止めていたせいかもしれません。これは
私の思い込みだし、逆にありきたりなので、そういう理由で拍子抜けしたのは
個人的な問題ですね。
いろんなカラーのお話を書かれる作家さんだし、新しい挑戦や手法の変化はもちろん
あって当然のことだと思いますから、ただそこが自分に合わなかったのだろうな、と
思っています。
伏線に気づかず、勢いでの読み込み不足が原因の読後感だとしたら残念ですが、
このお話はこういう感想でした。
いつか「そういうふうに読めばよかったのか」とレビューなどで気づいたら、
読み返してみたいです。