稚児=受けの美少年というわけじゃありませぬ。
もとはただの子供、平安時代後期の書物に、小間使いの子供という意味で書かれていることも多々あります。
寺には「喝食」…かつじき という食事の順序を唱える少年がいました。こういう子供は僧たちのアイドルになりますし、寺小姓の中には僧の性欲処理に使われたような子供もいるようです。
吉田兼好が徒然草の中で批判的に書いてますね。
稚児はそうした子供を隠語的に?あるいは優雅に言うのからきているだけじゃないでしょうか。
江戸時代の男娼、陰間を「こども」と呼んだようなものかと。
攻め受けはみなさんおっしゃるように、念者と若衆(わかしゅ)ですが、それは衆道の呼び方で、実際は兄者やら野郎やら、色々な呼び名があるようです。
つけたし、というか訂正です。
ちょっと適当なことを書きました。
衆道に関しては、瑠音さまがお書きになっているもので、
最初の書き込みでは単純に男色と書くべきでしたね。
興味深い本のご紹介もありがとうございます。
正確に言うと、男色の相手を「稚児」と呼ぶことがる……と
いうことで(時に揶揄を含めて)
実際の稚児というのとは、区別して考えるべきですね。
稚児については、女装と日本人という本に詳しくありますよ。
稚児は当時の女の子の格好をして、僧に奉仕していたので現代ではMtF(ニューハーフ)の疑似ヘテロセクシャルの観念に近いとお思います。
疑似へテロセクシャルというのは、攻め側の男性が女装者に女らしさを求めるということです。
ですから、男同士であるというのがBLの定義なら少しBLとは外れるかもしれません。
ちなみに、稚児はある年齢になると儀式により男性に戻りますが戻りきれない者もいたそうです。
衆道は、男として男を抱きますが忠義によるもので厳密にはLoveとは違うみたいですね。
けれど時に恋愛よりも慕っていると思うこともあると感じます。
匿名2番さん (1/1)
年長者が「念者(ねんじゃ)」で年少者が「若衆(わかしゅ)」、おそらく念者×若衆という形です。
稚児は衆道とは少しずれるかと…snowblackさまの仰っている通り、「受け」の呼称ではなくどちらかといえば職業ですね。
受けに対する攻めは、との質問ですが
例えば寺院で稚児を攻める側は僧侶しかいない訳で、わざわざ新たに「攻め」であることを示す名称は不要です。
なので存在しないのではないでしょうか?
ただ特定の僧と稚児同士で固定のカップルになった場合(ありました)に、それぞれを示す呼び方があったら良いのになぁとは思いますよねw
匿名1番さん (1/1)
読みは
ちご
だと思います。
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