BLで時代物、歴史物って結構数ありますよね。
その中で歴史上の人物を使ったBL。
どんな妄想やねつ造されようが大抵はOKなのですが、
既に史実で衆道関係のあった人の別カップルが妄想ねつ造されてると、そこにイラッと来てしまうんです。
例えば・・・
織田信長×前田利家or森蘭丸 ・・・いいぞもっとやれ。
上杉謙信×直江兼続・・・まぁファンタジーだしねぇ。
(上杉謙信にはなぜかそういう関係の伝承はあまりないし)
織田信長×明智光秀 ・・・なんでやね~んっ!!
自分、腐である以上に歴史(とくに戦国)ヲタすぎるんですかねぇ・・・?
いつもお世話になりまする。
>実際の人間の本質はどっちなんだろう。
本質かどうかはさておき、1950年代の大規模な性行動調査、キンゼイリポートや80年代のシェア・ハイト・リポートによれば、男女とも同性愛経験がある、と答えたのが実に半分ちかくです。
また、継続的かつ長期的な同性愛経験があったというのは1割(キンゼイ)から3割(ハイト)ですから、バイセクシュアルまたはホモセクシュアルはそう性的マイノリティとも言えないのではないか。
歴史的に見ても、古代ギリシャ・ローマ、古代ケルトはもちろん、世界中あっちこっちで少年愛ないしは同性愛が公然と行われていた記録が残っているわけですし、そうした歴史が抹殺されたのはやはり19世紀の西欧社会だとされています。そもそも同性愛(homosexuality)というのは19世紀の造語であって、裏を返せばわざわざ造語まで作って異端現象とする概念はそれまで薄かったとも言えます。
ところで、ワタクシ自身は美術史出身なのですが、学生・院生時代に言われたこと。
①人はわかるものしか見えない
②歴史とは我々の歴史観というフィルターを通して見ているモノ
たとえば、ルネサンスなんて常識中の常識ですが、ルネサンスは19世紀の歴史学者・ブルクハルトがロココ芸術に対するアンチテーゼとして発表した歴史概念であり、ブルクハルトやミシュレがいなかったらルネサンスという事象やその中の芸術家たちも今の世に全く知られないまま終わった可能性があります。
どんなに史料があっても、それに気付かなければ意味がないし、またそれの解釈の仕方次第だということですね。
もっとも自分の研究対象が史料的にはあっりえねーーー!絶対!!!ありえない!というトンデモ解釈されている本とか映画なんか見るとワタクシも作者に殺意を感じたりしますから、貴兄のおっしゃる「イラッ」とすることもよーくわかります。
いやもうね、許せないのとかあるんですよホントに・・・。
グレーゾーンにあるのとかはニヤニヤ笑って見てられますけどね。
・・・と江森三国志を大絶賛してるワタクシが言うのもなんだけどw あれこそトンデモ設定ですから。自分の専門じゃないから目をキラキラさせながら読めちゃうんだよね。
いつもながら長たらしい糞レス失礼いたしました。
現代だとバイセクシャルだとかホモセクシャルはヘタすっと
「脳の異常」のように語られちゃうからなぁ(苦笑)
実際の人間の本質はどっちなんだろう。歴史じゃなくて医学勉強した方がいいのかも・・・
自分の場合、歴史漫画やゲームに毒される前に学習漫画で歴史を学んだのがよかったのかな、脳内イメージ崩壊はあまりない幸せなタイプでした。
いや、むしろ「史実信長」と「ゲーム信長」がいる、というかw
どっちの印象が強いかは人によりますが・・・。
歴史の中でかなりの部分は「証明できるものはない」ことばっかりのような気がするのも事実。
ぶっちゃけ、日本の最古の政権とおもわれる邪馬台国すらあるのかないのかわからん、とかそんなもんですしね。
まぁ、なんにせよフィクションとノンフィクションはあくまで別物であり、混同したりするもんじゃないと思ってます。
だから最初に「史実で衆道関係のあった人の別カップルが妄想ねつ造されてると、そこにイラッと来てしまう」となるわけです。
なんだろぅな、両者を混同している感じで。
一つの本に史実準拠のカップリングとファンタジーなカップリングが混ざってるとか・・・。
>ofnoticeさん
>衆道とはいってもたんに男しか愛せないわ!とか
>男性同士でラブラブとかいう甘ったるいものじゃなさそう
甘くはないですね・・・。
それでも衆道は「ふつーにハッテンで乱交しまくりw」が当たり前に繰り広げられる今の日本のゲイ社会に比べると「一度巡り合ったら一途が基本!」のBLの恋愛により近いと思います。
命をささげてしまわないように好きを抑え込むストイックさはBLにはあんまりないから、そこは違いますが・・・。
ためしにちょっと調べてみました。
衆道=同性愛かどうか、ですが、結論から言ってしまえば、調べていくうちに衆道とは相手に命をかけるのが「至極」だそうです。
「葉隠」には、衆道の心得として、「一生に一人」とありまして、ぽいぽい浮気をするのなぞ駄目だし、まずは五年ほど様子を見てから生死を共にするに相応しい相手かどうか見極めるべきだ。しかし、武士たるもの、やはり主君に仕えるのが本筋だから、衆道で命をかけてしまっては主君にささげる命がなくなって武士として恥ずかしい。だから、衆道とは好きだが好きじゃないものと心得る、なんてくだりがあります。
ふ、深いな。
井原西鶴の男色大鑑なんぞを見てみると、前髪(元服前の少年)が念友(衆道の相手となる年上の男性)がいないのは夫のいない女性と同じだ、などというくだりがありまして(!)なにやら、武士のイニシエーション的に一般化していったようなことがうかがえます。
ミクロネシアだったかポリネシアのある部族には、現在でも、少年に対するイニシエーションとして年上の男性と同衾し、性交する慣わしがあるとかなんとか、文化人類学の本で読んだ覚えがありますが、そんなようなものなのかもしれませぬ。
で、さらにせっせと調べていくと、念友(衆道の契りを交わした仲)になるには、まず誓いを立てて念書を交わすわけですが、
この内容がはっきりいって現代の男女の結婚と同等かそれ以上。
浮気なんてもってのほかだし、ほかの男性女性に触れたり触らせたりしない、心を移してもいけない、勝手にほかの男性と行動をともにしない
その他、どんだけ束縛すんだよってぐらいのこまかーい誓いを立てるんです。
以上の衆道の念友になるプロセスは江戸中期ごろのものとはいえ、
これで武田信玄が高坂昌信に必死になって「浮気してません!」と弁明する手紙を書いているのも頷ける。
武士に二言はないわけですし、念友に二心あってもよろしくない、あれば恥ですからそりゃもう武将・武田信玄とてうかつなことで疑われたら冷や汗ものだったのか…。
江戸時代に衆道をはじめ男性同士の恋愛が禁止された理由は、怪我人死人が出るからだったからですが、これも衆道の契りと関係あるのかもしれませぬ。三角関係を疑われ、言いがかりを晴らそうと自害、で、念友も後追い自害とか。夫婦なら三くだり半で済むところが死体が二つ出ちゃうわけですからたまりません。
というわけで、衆道とはいってもたんに男しか愛せないわ!とか男性同士でラブラブとかいう甘ったるいものじゃなさそうですね。
実際、沙汰になって切腹した年下の男性の後を追って自害した念者(年上の相手男性)の話もありますが、衆道の契りとは本来そうしたもの、う~ん、新田先生の「冬の蝉」まんまですなぁ。
以上、くそ長い横レス失礼いたしました。
>眠れる森さま
すみません、日本史は専門外の門外漢なのに語っちゃって。
戦国時代は、バイセクシュアルは確実にあったろうし、この時代では「異常」とも思われていなかった、と私も思いますよ。
私自身は、「きっかけが何がであれ、『歴史』に興味を持って『歴史を勉強しよう』と思う若い方が増えてくれるのは、嬉しい」と思っているので、「それが史実のようにいかに読者をだまくらした」(褒め言葉のつもりなんですが…)心揺さぶられるフィクション作品が数多く世に出てくることは、ありがたいです。
私の大学のクラスメイトたちは、ほぼ全員がフィクションから歴史学の世界に入ってきていたので、そのフィクションのファンであればあるほど最低1回以上の「もっと詳しく調べようとしたら、実際は違っていた!」脳内イメージ大崩壊の大ショック経験者でした。ここが、「それでも史実が知りたいので歴史を勉強しよう」か、「ドリームが壊れるからただの歴史ファンでいよう」の分かれ道だと思います。
私の最初の大ショックは、小学生の時で、「真田十勇士は、過半数が架空の人物」と知ったとき、あれはキツかった…。
昔々、年下の友人が「マンガ『日出処の天子』の内容はすべて史実」と思い込んでいる」ことにあんまりびっくりしたもので、つい若気の至りで「少なくとも聖徳太子と蘇我毛人の間に恋愛めいた感情があったことを証明できるものはないと思う」論拠をズラズラーっと並べ立て…、気がついたら彼女の目が死んでいました…。
あの時はドリームを壊しちゃって本当に悪いことしちゃったなあ…、と心から反省いたしました。
それからは「私は歴史ファン」という人に出会っても、「史実ファン」なのか「フィクションファン」なのかを確認してから会話するよう気をつけております。
>ピピンさん
うわ、耳が痛い・・・
自分が専攻してた歴史っていうのが、その先生のおっしゃる「史実」がわかりようもなく最終的に推測に頼らざるを得ない時代(考古学)とかシーン(民俗学)だったりしたので、どうにももしも癖が抜けません。
ところでピピンさんとは逆に「戦国時代の衆道と同性愛は違うのでは」と考えない理由なのですが、それは
「人間の本能として同性と交わるというのが不可能なら衆道なんか発生しようがないだろ!」
ということで根っこが共通するからです。
「苦行としてやる」とかならともかくメジャーに史実として残るほど流行るというのは男性の本能にはバイセクはある、という証拠にしかなるだろ・・・ということで、根が同じなら違うとは言えんよねぇ、と。
だからゲイの「男性しか愛せない」同性愛とは違うかもしんない。
ちなみに「伊達政宗☓真田幸村」は時代物の中ではえらく地雷ですね。
でもここまで滅茶苦茶だと「あー、戦国バサラという別の世界のお話だし」と考えてしまいます。もうそこまで行くと架空の史実(その世界では史実)というかなんというか・・・。
私の大学のロシア史の教授が、一番最初の授業でおっしゃったことです。
「『歴史学』を研究する人間がやってはいけないことの第一は、『もしも◯◯だったら』を考えることです。
『もしも』を考えるのは、フィクションを作ることを職業にしている人の仕事です。
君たちは『歴史学』学びに大学に来たのでしょう? 今後は『もしも』を考えない習慣を身に着けてください」」
西洋史クラスの1年生全員が唖然となりました。皆、歴史小説・歴史マンガ・歴史ゲーム等のフィクションが大好きで、大学の歴史クラスの進路を選択した者がほとんどだったからです。
つまり、「これは『史実』としてはっきり証拠があってわかっていること」と、「これは『学説』として上がっているが、確実な証拠・論拠はまだわかっていないこと」をきっちり区別する認識を持たないと、「『史実』を明らかにして現代に活かす」研究者にはなれないということです。「『史実』としてはっきり証拠があってわかっていること」は長い歴史の中に点々と点在してますが、その点と点の間を、「もしも」で繋いではいけない。あくまでも、史実のみを堆積して初めて見えてくるを「自分の学説」として発表するのが歴史研究で、そこに万が一「もしも」が混じっていると、歴史学としては相手にされないと。
最初の1~2年は、皆、「『もしも』を考えたいよー」の誘惑と闘い続ける日々でした。
というわけで、歴史学専攻だった私の頭の中では、「フィクションは全部リアリティがなくてもOK」になってはおります。歴史小説を読んでいて、「この習俗は、実際は約20年後に出てきたもので、この当時はないな。作者さん、ストーリー上うまく辻褄を合わせたんだな」と、脳内スルーなんてことよくあります。
フィクションのリアリティとは、「それが史実のようにいかに読者をだまくらかすか?」じゃないでしょうかね? 最近では浅田次郎さんが、「それがまるで史実であったかのように書くのが、実に上手いなー」と感心しております。その大代表「壬生義士伝」! 主人公の吉村貫一郎って、新選組の隊長の中で、「最も史料がない!」ことで有名な人なんですもん。
「戦国時代の衆道と同性愛は違うのでは」と私が考える理由なんですが、
・まず恋愛観は、時代によって多様に変わってますので、「戦国時代の衆道」と、「現代のお互いが対等の自由恋愛の同性愛」とを、同じ感覚でとらえてはいけないと思うこと。
・戦国時代武将は大体が政略結婚でしょう。(豊臣秀吉とねねが恋愛結婚かな? でも、豊臣秀吉は元々の身分が農民で、ねねは下級武士の家出身なんですね。秀吉が「北政所」として子どもがいないねねを粗略に扱わなかったのは、この辺も関係しているかな?)政略結婚でたまたま気が合ったから結果的に夫婦仲がよかった例が多いと思います。側室も、継嗣を産めば、次代当主の母親の実家の出身家の繁栄に繋がりますので、政略に繋がります。
武将が自由に好きになれるのは「寵童」くらいなんじゃないかな…?
ここが、欲得が絡む女性との色事より、欲得が絡まないから「衆道は高尚だ」みたいな記述が出てくる理由かな?と。
「寵童」も出身一族の繁栄に結びつくこともありますが、子どもを産んだ女性の比ではありません。
・でも、「寵童」に選ばれた家臣の方は、主従関係なので「断る自由」がたぶんないでしょう。
・私は、「女性に興味が持てなくて一族や家臣が困った」戦国時代の人は、徳川家光しか聞いたことがないのです。
以上です。
「織田信長☓明智光秀」は、BLの萌えの「下克上」の代名詞だからなのではないかと。それに光秀が本能寺の変を起こした確たる理由がわからないでしょ? 謎は妄想を生むのですわ。本能寺の変の時は「二人共50歳前後で、孫もいたわな」という事実はきれいにスルー。
私自身は、ここ最近の「伊達政宗☓真田幸村」が、同人世界では当たり前になっちゃっている方が、抵抗がございました。ねえ、接点はどこ? つか、17歳と20歳って何?
池波正太郎の「真田太平記」を読んで、父・真田昌幸と幸村、兄・真田信之が、「お互い敵味方に別れても必ず『真田家』を残そう」と決別し、関が原以降は信之が「逆臣の子」と罵られながら真摯に努力する姿に感動していたもので…。幸村を持ち上げると、信之が悪役に描かれることが多いのが不憫でなりません(T_T)
ああ、また書き散らしてしまった…
陶晴賢に関しては、激しく同意です。
眠れる森さん、こんにちはー!
確か宣教師のコメントが残っているはずとうろ覚えでしたが、大物ザビエルさんを失念していました!
元締めを忘れちゃいけね~よ!ですよね^^b
大内義隆も初謁は衆道の件でダメだったのに、2回目は豪華な衣装と珍しい貢物やインド総督の親書とかで、ザビエルに布教を赦すなんざ、俗物と言うか素直と言うか、自分的に愛すべき男がまた増えました♪
ザビエルさんも2年ちょっとしか居なかったけど、フロイスさんや後任がちゃんとキリスト教が広めるあたり「妥協」は仕方なかったかも。
氏郷もレオンってあるのに、名古屋山三いるし~@▽@ワォ♪
それと、晴賢のヤンデレ!
おー♪ワクワクしますねー♪
信長の「女装好きな上にマッチョ好きでほっそりしていて声が甲高い」に関連して。
乱丸の森家は「勇猛で正直者」で売っていたから、乱丸もそうだったかも。
信長が47才で乱丸16才・・・勇猛果敢に攻めたんでしょうか?
うひゃー(=^ο^=)
タイトルは適当です。
>ピピンさん
うーむ、やっぱり男相手は浮気じゃないし、と割り切ってたのかもしれませんねぇ、戦国の女性たち。
明らかに目的が違いますしね。
そして、うん。名古屋山三は熱いですね。
森忠政(あの森蘭丸の弟)に仕えたという話もありますが。
>橘盾さん
いやはやどうもどうも。
衆道取り締まり令はじつは歌舞伎なんかにも影響及ぼしてたりして(若衆歌舞伎がなくなった理由が実はそれ)
もしかして、人間の男には本来はホモ(というかバイか)の性質が入っておるのではないかと思ってしまうwと自己正当化(違う!)
あと、同性愛についての宣教師のコメントですが、
>フランシスコ・ザビエルとも面会したが、男色を罪とするキリスト教の教えに大内義隆が激怒したために
>ザビエルとの関係は途絶えることとなった
なんつーのがwikipediaで確認できました。ありえる。
是々非々な奴もいたんでしょうけど空気読めないのもいたようで。
そこから脇道に行きますが、その寵童の一人が実は「のちに謀反ぶっこいて義隆を倒しちゃった陶晴賢」だったりするからなかなか深い。
何があったのだろうか・・・と考えれば考えるほど、ヤンデレ晴賢が面白いのです。
>ofnoticeさん
なぜかいままで想定に入らない信長受け!
・・・あるよなぁ、普通にありえる!
まぁ年下というのもあってあまり考えなかったのだろうけど。
でも、信長って実は
「女装好きな上にマッチョ好きでほっそりしていて声が甲高い」
というのが公式からも読める定説。
この特徴、もはや「受けでしかない」よねぇ・・・と。
何か目が覚めましたよわたしゃ。
腐兄・腐人のみなさま、ご機嫌うるわしゅう。
歴史と聞いてムラムラムラッときたofnoticeでございます。
>眠れる森兄様
わたくしは織田信長公×森蘭丸(森成利)の有名すぎるカップリングを見るとビッミョーーーな気分に陥ります。
織田信長×前田利家とちがい、二人が恋愛関係あるいは衆道関係にあったことは資料はないにも関わらず、なんか定番カップルっていう扱いが・・・!また、森蘭丸というと、絶世の美少年風に想像されがちですが、小姓といえば、政務次官&秘書&SPぐらいの激務にして、出世の登竜門、それに森家はガタイいい体育会系な人が多いようなので、実際は野心も強い男っぽい人だったんじゃないか説もあるらしい…。
そういや、前田利家も身の丈8尺の大男だったそうですし、信長も当時の常識に捉われない横紙破りな方ですから、案外、信長ってネコだったんじゃないかしら、とかいう妄想が起きても不思議じゃないんですが、誰もそこにつっこまない(笑)
さて、衆道と同性愛は別物というお話、大変興味深く拝読いたしましたが、なにかと○○道というのは、それ自体を目的化してしまうよりも、それを通して精神的な高みを求める、みたいなイメージがありますね。
例えは悪いですが、わざわざ痛そうな鶏姦をやるって、なんだか現代風に解釈すると、不良の根性焼きみたいなものだったのかな・・・とも思います。
ところで、最近、自分的萌え度の高いカップルといえば!足利義満と世阿弥です!世阿弥が12歳のとき、義満が一目惚れし、それから世阿弥も苦労して勉学や教養の習得にはげみ、元来、余興程度の地位にしかなかった能楽を武士のたしなみの地位にまで押し上げてしまったって、義満の愛と世阿弥の健気な努力が見えます。
・・・と長々ととりとめのない話、失礼いたしました。
眠れる森さん、こんにちは^^
お、衆道ですか♪あまり知らないのですが失礼します☆
年号や大きな史実を無視しない限り(ここ重要!)、敵同士や年齢的に無理じゃない?と思うものでも妄想なら自分は気にならないです。
日本書紀にある愛男の死の後追い事件(合葬にして上げたのがオツ)から、
仏教伝来と共に入った衆道が、あれよあれよと 寺→公家→武家→町人と広がり、米沢藩内で衆道取り締まり令(男色が目に余ったっつー)・列強の影響下で制定された明治6年の鶏姦罪まで延々と続いてきたものですもんね。
言わば、伝統☆
それに加えて、時代で歴史が変わる。
勝者の書き換えもあるけど、検証でも変わる。
昭和の教科書にあった足利尊氏絵は今では尊氏と断定していないし、上野公園や鹿児島市立美術館にある西郷隆盛像も本人以外のモデルが知られているし。
何があってもイイです。
だから、見目・才ともある若かりし頃の光秀なら、義政と信長の短い共闘時代に一時の間違いがあっても・・・^^ゞ
>瑠音さん
初めまして。
武家は忠義ありき。
「抱かれるのは忠義の嵩増し」もあると思うけど、
やっぱり攻め方の、性欲処理は手近なところでと、血統がお大事だから傍らの女性ではね・・ていう事で時代のニーズだったとも思うんです。
肌を合わせれば「愛」や「執着」も生まれるのも分かるし。
ところで「衆道」は中学の歴史の授業で信長の時に習いました☆
瑠音さんも、この先生なら良かったですね^^
家光の話、楽しく拝見させて頂きました♪
>ピピンさん
「蒲生氏郷」は中学で読んだ海音寺潮五郎先生のエッセイ以来ファンなんです♪
橘には、どの国の王様にも愛される天然朗らかイケイケ王子みたいなイメージでして。
≒30才没と短い人生なのに、氏郷自ら沸かした風呂に部下を入れるのが好きだったとか、部下思いの逸話が多いですよね♪
ところで、1587年の秀吉のバテレン追放令まで、熱心なキリシタンやキリスト教を是とする大名が多かったのに、氏郷といい伊達政宗といい小姓を愛でている。
教義そっちのけなこと、不思議じゃありませんか?
宣教師達は非難してませんよね?
教義よりもセールス特化でここら目をつぶったのか?郷に入れば~と柔軟なのか?う~ん・・・
宣教師のコメントがあれば教えて下さい。
そして、名古屋山三郎繋がりの歌舞伎の世界~!
役付きの大スターも役が貰えない陰子ちゃんも当ったり前!
その演目の内容を知らないのですが、出家してても還俗はそう難しい事ではないような・・・
やっぱり男女だと子を成せる可能生があるもんなぁ~
好きであればある程のこの苦悩は時代を越えて続くんだろうなぁ~と感慨深いです。
あ、長くなってしまった!すみませんです!
あんまり詳しく調べていないんで、恐縮なんですが。
衆道って、記述を読む(閨房のことなんで書いてある本自体少ないうえ、上品にぼかしてあるから尚わからない)と、なんですかこう、「おなごなどと汚らわしいものとの色事とは違う、高尚なもの」っつー感覚みたいで、
いわゆる「男性にしか恋愛感情を抱かない」同性愛とは、また別物のような気がいたします。
蒲生氏郷の奥方は、織田信長の息女・冬姫で、戦国武将に珍しく他に側室を持たず、二人の仲はたいそうよかったそうな。という史実に
「まあ、すてき♪」
と思っていたら、蒲生氏郷さん、寵童はたくさんいたのね、おいおい(T_T)
しかもその内の一人が、あの戦国時代一の美少年と詠われた名古屋山三とな!
もうワケがわかりません。
さて、この名古屋山三、武芸もたいそううまかったらしいが、蒲生氏郷亡き後、行方がよくわからない。この「わからない」つーのが、いくらでも妄想できちゃいそうで困ったもんです。
実の姉のつてで誰だかに仕えたとか、出雲の阿国の恋人になって諸国を放浪したとか、もう奇想天外な諸説ふんぷんで…
「主君・蒲生氏郷が亡きあと、武士の世界に未練がなくなり…」ウンヌンカンヌン、妄想を抱いてしまわずにおれましょうーや。
歌舞伎ですが、「桜姫東文章」もキテレツな話です。
僧・清玄と、衆道の契りを交わした寵童・白菊が、
死んで生まれ変わったら、女性の桜姫に。
女になったからよかったような気が…、でも清玄は僧侶だから女性と関係できないから…、あれ? かえってワケわかんないことに。
小学生の時に、上田秋成の「雨月物語」で、特に「菊花の約」が好きだったんです。
そーゆー話だったと気づいたのは、つい最近で。
いやあ、純朴に男性同士の友情物語だと思ってました。嬉しいような、がっかりしたような。
書き散らしまして、すみません。
腐の世界を知ったのと戦国オタクになったのがほぼ同時期なので両方学べるいいテーマでした。
(戦国ゲームでも高坂はイケメンだったしなー。仮面さんだけど)
>瑠音さん
自分は「暑苦しいレベルの忠愛」を「恋愛」に転ずるのはあり、なんでこの場合の酒井忠勝はあり、の認定です。
ただどうにもこうにも三角関係に感じますが。
あと、高坂昌信はピックアップされなさすぎだと思ってます。
あれだけ「BLそのまま」な例がありながら、それをテーマに取ったBLをついぞ見たことがないのはなぜなんだろう、と・・・。
あ、若い時の武田晴信(信玄の若い時の名前)は結核もちでひ弱い所のあるお兄さんだったので、ヒゲダルマじゃなくてもオッケーかなぁ?とも。
なにせ6つしか違いませんから、高坂昌信の小姓時代(15とか16です)は当然武田晴信も若い(20代前半)のです。その方が萌えるから脳内書き換えどうでしょう(え?)
眠れる森さんはじめまして。
史実にないねつ造ってかなりややこしいです、わたしは日本史苦手だったため詳しくなくよけいわからなくなりそうです。
けど学生時代に衆道のことを教えてくれてたらば、きっとわたしの日本史のテストは満点だったことでしょう...w
衆道について知ったのは最近でまだ詳しくないですが現代BLと違う萌の宝庫ですよね。
美しく頭もキレる小性の高坂昌信にメロメロだった武将武田信玄が書いた、浮気を弁明する手紙なんて部下である高坂に惚れまくりで頭があがらなっかたっていうのが伝わってきて萌えます。
武田信玄髭だるまの戦国武将なのに小性で年下の高坂にへりくだって、ごめんねごめんね本当にしてないからね!とかなんだかかわいいです...w
どんだけ高坂のこと好きですかもう。
もひとつ好きなお話。
酒井重澄を寵愛し、お忍びで城を抜け出し重澄の屋敷に通う徳川家光将軍。
それを知った家臣の酒井忠勝が将軍の身に何かあったら大変!とひそかに家光の後をつけことが済むまで木陰に隠れてw 家光公を見守る...。
霜がおりる寒い寒い夜も忠勝は外で家光を待っていて、家光の草履を暖めていた。
草履の暖かさで家光は、忠勝の深い忠義に気づき夜行を改める。
この話は...衆道って愛だけじゃなくて忠義が絡んで来て、それが現代物や男女物になくておもしろいです。
深い愛を抱いてる相手が他の者のところに通っているのを、極寒の中見守るなんてふつうできないですよ...。
若い重澄より主君家光に深い愛を抱いていた、忠勝のこころが届く。
ねつ造よりおもしろいかもと思います。
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