匿名10番さん (1/1)
小さい頃から、物語や映画の「メリバ」や「バドエン」が苦手です。例を挙げれば「人魚姫」や「マッチ売りの少女」、フランス革命をテーマにした古典的名作少女マンガ、船が沈没する恋愛映画などなど。
素晴らしい作品なのは分かっている…でも、それを鑑賞したり読み終えた時の辛さが耐え難く、極力避けるようにしています。「フィクションだから」と思えずに、「実際にも同じような辛さを感じた人がいるはず」と考えてしまう。数日はそのエンディングに心が囚われ、数日経つと、心がそれを許容出来なくなり、ポッカリ穴が開いた感覚になり、そこから段々回復してくるようなイメージです。
時間の経過が薬になることは経験上分かっていますが、他にこういう方はいらっしゃいませんか。もしいらっしゃったら、どのように鑑賞読了直後に心を立て直していらっしゃいますか?
匿名10番さん (1/1)
読まないのが一番です。
子供の頃に残酷描写をテレビで見てしまい、ウン十年たった今でも時にその画を思い出して嫌な気持ちになります。
トラウマはなかなか忘れられないんですよね。
あと私は怪我の描写も苦手で、自分が怪我した時を思い出してたまに血の気が引くことがあります。
女性は共感力が高いらしいので、読んでるだけでも体に同調が起こることがあるようです。
人によりかなり差があると思いますので、レビューを確認して引きずりそうなら無理をしないで避けたほうがいいですよ。
匿名1番さん (2/2)
普段は「極力」避けている「メリバ」「バドエン」なのですが、家族の代理であるミッションを遂行せねばならず、メンタルにかなりのダメージを受ける結果となったのが昨日のこと。今回このようなトピ立てをしたのは、同じような感じ方をする誰かがいるのなら、弱音を吐いて、受け止めてほしい気持ちがあったのだと思う。
コメントを下さった皆さま、どうもありがとうございました。皆さんの思いや対処法に共感することも多く、同じような経験をしているのが自分だけではないことに勇気付けられました。私には欠けている、一歩攻めた対処法を教えて下さった方もいらっしゃり、目が覚める思いでした。また、ある方は「善い人アピール」と書かれた方もおられ、少々複雑な思いもしています。
お付き合い下さった皆さま、どうもありがとうございます。自分が一人じゃないと思えて、嬉しかったです。
物語であってもフィクションであっても、生きて笑っていてほしかったな。
匿名9番さん (1/1)
レビューを書く
気持ちを文章に起こすことでとことん向き合って昇華させます。
書き終わったらすぱっと切って次へ。
ただし酷評になると、場所によっては削除されたり反論レビューで毒を吐かれたり作家ファンに凸られたりするので、場所を選んで書くのが無難でしょう。間違ってもツイッターはダメですよ。
溜めこむのは良くないので、どうにかして吐き出すのが良いです。
匿名8番さん (1/1)
私はもしその選択になった時の回避の方法を考えます。
主人公視点で、助かる方法だったり、工夫の方法だったり。
自分視点だったら、ここで歯止めかけてここでこうして…とか。ここで、こういう人に相談して止めてもらったら納得できるかな、とか。もしくは、ここまで位の恋愛であれば(悔いなく)バッドエンドを迎える運命だとしても自分の立場で受け入れられる範囲だなとか。
また、そういう人がいると想定するなら、
じゃあ自分が友達だったら何が出来るか、どういう言葉をかけたらいいのかとか。傍にいるしか結論が出ないのか、もっと遠くからの寄与(事前から周知させておくとか、物事に対してこういう感情持っておくとか)しかできないのか。
他王子や、人魚の家族にこういう励ましするとか。
勇気がいる方法であれば、“絶対やろう”と決意を唱えるとか。
現実的にいるとすれば、
より、実際にアプローチできるすべを手に入れられるので、
気も若干それるし、現実でいざ行動する先に予行思考をしておくと頭が楽で一石二鳥です。地震の予行と似てます。
ただ、そういうお話って、最後まで見ると考えるエネルギーも使ってしまう(精神衰弱にさせられる)ので、私は結果的に予告だけ見て、解決策見いだしたり、レビュー見て違うとらえ方(明るめ・朗らかな視点)を頭に入れてから見たり、最近だとエロ・グロに関してニガテだと5ページくらい平気で飛ばします。こう…消化不良のままトラウマ化するんですよね。乗り越えられるんだったらいいと思うんですが。
しんどい場面や悲しみを洗濯機でぐるぐる回しているような、それをボーっと見ているような感じより、そこに意図して砂糖でも塩でも、ジェルボールでも放り投げる如く、実際うっすらでもやりたいことを考えてそれを思考×何度も試行することで、勝手に洗濯機の中から目が砂糖・塩へ移行し、(自分で)能動的な感じに移行出来る感じがあります。
匿名7番さん (1/1)
そういう作品に励まされた側からのコメントです。
今朝目にした未就学児のお母さんのツイートで、お子さんがたまたま見てしまったテレビの映像から重度のPTSDになってしまい、大変ご苦労されたことを呟いていました。
年齢を問わず、その人にはそぐわない、見聞きすることでひどくショックを受けてしまうフェイクやホラー映像、残虐シーンはあると思います。ですが、フィクションについてはそれを見る見ない(読む読まない)を、大人ならば選べます。
フィクションは、同じような辛い経験をした人にとっては救いになることがあります。苦しんでいるのは自分だけじゃないんだと。見(読み)終わったあとに、生きていく限り現実は続いていくということも教えてくれます。見終えるたびに、実際キツいけれども大丈夫だから現実世界に戻っておいで!と何度でも自分が納得できるまで背中を押してくれます。結果、主さんと同じように時間が癒してくれることもわかってきます。
当事者の辛さは当事者にしかわかりませんし、一方的に上から同情されるのも失礼な話かもしれません。フィクションであっても辛い思いをしている人がいるはずなんてあたりまえの発想は、自分はそういう人に共感できる善い人アピールに聞こえないでもないです。
HSPのように繊細で傷つきやすいのなら苦手なものを無理して読まないことです。不必要に傷つくことはありません。あなたがフィクションの助けが本当に必要になった時、読めばそのありがたさがすでにわかるようになっているのですから。
匿名6番さん (1/1)
感情移入が強いタイプなので、「エンターテインメント」なのに何でわざわざ金払ってまで辛い気持ちにならなきゃいかんのじゃ、と開き直ってそういうのは避けています。
BLに限らず全般的に、暴力とか暗い、重いタイプの作品は小説であれ映画であれ、ドラマであれあまり選択しません。あと動物もので、動物が辛い思いをしそうなものは真っ先に避けます。
以前友人と話した時に全く同感と意気投合したので、そういう人もちゃんといるのが分かって安心した記憶があります。
友人曰く、感情移入が弱いタイプの人は刺激が強いものを求めるのではと言っていましたが、実際はどうなのでしょうか。
見てしまった場合…最近はないのですが、
意外にショッキングな夢見たりした時もちょっと引きずりますね。
ぼーっと猫を撫でれば大丈夫な気もします。あとは惰眠を貪るのもひとつの手ですかね。夢の展開があまりに辛くて、無理やり起きた事があります。それで寝直して別の夢にしました。続きを見なくて良かった(ちょっとホラー系でした)。
後はあんまり物語性のない映像を流したり、頭使わなくて楽しめるバラエティとかでお茶にごしたりしてるうちに回復する気がします。
匿名5番さん (1/1)
バドエンになりそうな作品はあまり読まないのですが、あらすじ知らずに読むのも好きなので、予想外にバドエンに当たってしまうことがたまにあります。
そういう時は一人になると、考えこんだり涙が出てきたりしますので、できるだけ家族や友人と話すとかしますね。
一人の時にはお酒を飲みながらTVや映画やアニメなど見て気を紛らわせます。
そのうち時間と共に昇華していくことが多いです。
匿名4番さん (1/1)
殺伐展開とかバドエンでも主人公に共感すると良い物観た〜ってなるな。殺伐展開物でモヤッた時は明るい話やえろいBLやら見たり美味いもん食べてよく寝て〜ですね。えろと美味いもんでだいたい治る
匿名3番さん (1/1)
じゃあどういう結末なら幸せになれたのか?(もしくはどんな要因を回避すればよかったのか)を考えたり、似たような境遇でもパピエンの作品を読みます~!
BLではないのですが、追ってる連載マンガがつらい展開のときはpixivの二次創作に癒されにいきます。
匿名2番さん (1/1)
私もバッドエンドはもちろん、最終的にハッピーエンドでも途中があまりにも痛い展開のものは読めないです。
たまに途中辛いものを読んでしまうのですが、その世界に引っ張られてしまい、気持ちが落ちてしまいます。
そういうときは、次に読む本をあまあまだったり、ラブコメの楽しいものを選んで、気持ちを立て直しています。
私もバッドエンドが苦手で避けているのですが
去年見てしまって、一ヶ月以上立ち直れなくて
体調が悪くなって病院に行きました。
先生に原因を訊かれましたが、
当然恥ずかしくて言えませんでした。
私の場合は運のいい事に
次の恋が見つかったので立ち直れましたが、
出会ってなかったら未だ引きずってると思います。
とにかくバッドエンドは恐ろしいので、
なるたけ出会わないようにしています。
ちなみに私が落ち込むのはBL限定です。
他の設定ならそこまで落ち込みません。
トピの質問の答えになりますが、
心を立て直す方法はありませんでした。
次の恋が見つかるまで耐えるしかない。
匿名1番さん (1/2)
質問文中の「実際にも同じような辛さを感じた人がいるはず」とは、「映画や物語の登場人物が感じたのと同じような辛さを感じた人が実際にいるはず」の意味です。だから、フィクションとは片付けられない気持ちになります。
この質問に関する回答は締め切られました