★作品発表★ 著者:墨谷佐和
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飛行機を降りると、そこは砂漠の国だった。
制服のまま、プライベートジェットを降り、ユウトは呆然とする。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
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ことの起こりは、つい数時間前のこと。ユウトは中東美術展へと向かっていた。
美術館の近くまで来たところで、ものものしい警備に守られた一団に出くわした。
たしか今日は、公開初日なため、国宝展示のために来日している中東の王子様・ズハイルがテープカットをするはずだ。もしかしたら、普段めったに見られない王子様を見ることができるかもしれない……。好奇心でその一団を見つめていた、その時。スーツ姿のSPに守られた人物の金色の瞳がユウトを射すくめた。
目が合って、その鋭い視線に捕らわれて動けなくなってしまう。
そして、ぴたりとユウトを見つめたまま、その人はSPの制止を振り切ってユウトの前までやってくる。
「あ……」
引き締まった褐色の肌、黒くつややかな髪、そして王者らしい傲岸な雰囲気を纏った背の高いその人を見上げ、ユウトは何も言えなくなった。
そんなユウトを見て、ふ、と笑んだ彼は、何も言わずにユウトを抱き上げる。
「え、ちょっと待ってください……!!」
ユウト抵抗などものともせず、その人はユウトを抱いたまま車に乗り、飛行機に乗り、そして砂漠の国まで連れてきてしまったのだった。
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「お前は私のものになった」
飛行機を降り、砂漠を前に立ちつくすユウトに、誘拐犯である彼--王子・ズハイルが語りかける。
「どういうことですか……?」
「こういうことだ」
そしてまた、抱き上げられて頬にやさしく唇を寄せられた。
「私は一目でお前が欲しくなった。お前は私の妻となるのだ」
「え……!?」
ユウトは非難をこめた驚きの声を上げた。
「な、何を言ってるんですか! いきなり知らない国に連れてきて、しかも妻だなんてそんな……!」
ユウトが抗議している間にも、ズハイルの唇はユウトの頬をつつき、頬骨の辺りを強く吸ったかと思うと、そのまま耳朶へと移動した。
「あ……っ」
その緩急をつけた柔らかな唇の動きに、思わず声が上がる。
な、なに今の……?
そんなユウトに、ズハイルは相好を崩した。
「私のくちづけは気に入ったか?」
「だからそんなんじゃ……話を、話を聞いてっ……」
尚も耳朶を食み、首筋へと移動しようとするズハイルの顔を押し退けた時、ユウトの爪が一瞬、ズハイルの頬を掠めた。ズハイルの艶やかな褐色の顔に、さっと一筋、赤い擦傷のあとが刻まれる。
「あっ」
ユウトが驚くのと、SPたちに取り囲まれるのは同時だった。その場に否応ない緊張が走る。
「王子」
低い声で詰め寄った男に、ズハイルは手のひらを指し示す。
「よい。騒ぐな。可愛い子猫に引っかかれただけだ。彼は私の妻となる男。不要な警戒はするでない」
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そうか、ぼくは王子様を引っかいちゃったんだ……。
通された部屋で、顔の埋まりそうなふかふかのクッションに顔を埋め、ユウトは今日あったことを思い返していた。
中東美術展を見に行って、突然王子に抱き上げられて飛行機に乗せられ、この砂漠の国に連れて来られた。そして今、この想像を絶する豪華な部屋にいる……。
小さい頃に読んだ「アラビアンナイト」の絵本に出てきた王女さまと同じ部屋だ。だが、部屋の周りは最新のセキュリティシステムと、黒づくめのSPたちで守られている。
勿論、王族に連なる人物を守っているのだが、ユウトが逃げられないようにという意味もある。まさに自分は今、囚われの身だ。絵本の中の王女様もまた、豪華な部屋の中で囚われていたのかな……。
ちょっと待てよ! ぼくは王女様なんかじゃないぞ!
自分に突っ込みを入れて、ユウトはため息をつく。「妻になれ」と言われたことを思い出したのだ。
――冗談じゃない。ぼくは男だし、それに、恋してない人と結婚するなんて……!
その時、ズハイルが音も立てずに部屋に入ってきた。背の高い、立派な体躯なのに、氷の上でも歩けそうに優雅で軽やかな足取りだ。ぼんやり見ていたユウトは、目の前にその端正な顔が近づいて、ハッと我に返った。
ズハイルはかまわずに、ユウトの顎に手をかける。金の瞳が語りかけた。
「私たちの結婚について話をしにきた」
「だから話を聞いてって……」
キスされる――さっきの頬へのキスを思い出してユウトは顔を背けた。
「ぼくは恋してない人とは結婚できません……!」
「恋?」
「そうです。あなたとぼくは今日会ったばかりだし、それなのにいきなり妻になれだなんて」
「私は会ったばかりのおまえに恋をしたが?」
金の瞳の中に自分が映っている。そのまっすぐさに、ユウトの心が揺れた。こんなふうにストレートに感情をぶつけられたことがない。理不尽でしょうがない話なのに……そのすべてを払拭してしまうような輝きが、その目にはあった。これがカリスマ性というものなんだろうか。
「でっ、でもぼくは……」
「私を好きになればよいのだな?」
言葉と一緒に、ユウトはふわりと抱き上げられた。同時に唇を塞がれ、強く吸い上げられる。
「……んっ」
「好きだユウト……愛している」
「そんなのっ……信じられない……っ」
侵食する唇から逃れようと、ユウトは尚も意を唱えた。
「だからそれを信じさせてやる。おまえの身体中を私の思いで満たして、私に恋をさせてやる……」
語尾が淫らにユウトの唇の上で溶け、ベッドに横たえられた身体の上に流れ出していく。邪魔だとばかりに取り去られた制服が、複雑に入り組んだ模様の絨毯の上に積み重なっていくのを他人事のように見ていたユウトは、これから自分の身に起こることを悟り、身体を震わせた。
「やだ、怖い……何するの……」
「愛するのさ」
逃げようとした身体をシルクの海に繋ぎとめられ、そこかしこに唇をつけられてユウトは悶えた。下半身も熱くなり、なぜ自分の身体がそんなふうになるのかがわからない。でも一つ言えることは、それが全然嫌ではないということだった。
「ユウト、よく聞いて……」
「あ……ん……」
返事をしたいのに、言葉にならずに悩ましい息だけが漏れる。その吐息をキスで絡めとってズハイルは囁いた。
「我々、砂漠の民は嘘をつかない。そして迷わない。疑念や迷いは砂漠で生きていく上で命取りだからだ。故に、私はおまえを選ぶ。神の名にかけて、砂漠を潤す水にかけて愛している……」
そして、金色の目が潤んだ。まるで涙を浮かべているように――こんな綺麗なもの、見たことない……ユウトは甘くて脆い意識の中でそんなことを呟く。砂漠に沈む夕日はきっと、こんな色かもしれないと思いながら。
「だから、おまえも私を愛してくれ」
金の瞳の王子は愛を告げて、首筋を吸い上げた。
自分はアラビアンナイトの王女様ではないけれど――。
身体中に愛の印を刻まれて、ユウトはズハイルに腕を伸ばす。
「ぼくも、あなたに印をつけさせて……」
「それならば、さっき貰った」
ズハイルは微笑んで、頬に残る傷跡にそっと触れる。
自分は、あの時にもう王子に堕ちていたのかもしれないと、ユウトは自分の運命を想った。
おわり