一度きりの大泉の話

ichidokiri no ooizumi no hanashi

一度きりの大泉の話
  • 電子専門
  • 非BL
  • 同人
  • R18
  • 神5
  • 萌×20
  • 萌0
  • 中立0
  • しゅみじゃない0

--

レビュー数
4
得点
25
評価数
5
平均
5 / 5
神率
100%
著者
萩尾望都 

作家さんの新作発表
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媒体
小説
出版社
河出書房新社
レーベル
発売日
価格
¥1,800(税抜)  
ISBN
9784309029627

あらすじ

352ページ、12万字書き下ろし。未発表スケッチ多数収録。
出会いと別れの“大泉時代"を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。

「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」

表題作一度きりの大泉の話

レビュー投稿数4

永久凍土

少女漫画版のトキワ荘とも言われる大泉時代。元は竹宮恵子先生と萩尾望都先生が家賃節約の為に2人で暮らし始めた貸家に70年代、80年代の少女漫画黄金時代に活躍した先生達がサロンのように集まり、夢を語り合い青春時代を過ごした。竹宮恵子さんの自伝「少年の名はジルベール」ではそのようなキラキラとして笑いあり涙あり、最後には感動する優れたストーリーに仕上がっており、周りの人々が映像作品化したくなるのもよくわかるような傑作だと思います。

しかし同じ時代を萩尾望都さん側から見たらこんな根深い永久凍土の話だったとは驚きました。大泉時代の2年間は確かに若い先生達が刺激を受け合い楽しかったけれど、その解散の時のいきさつは当時の事もあまり思い出したくないと思える程の深い傷を萩尾先生側には与えたようです。皮肉にも「少年の名はジルベール」の出版により、大泉時代の事で世間が騒ぎ出し、自分が当時を語らない理由を一度きりだけ語る、もう二度ときかないでね?と思ったのが今作の執筆理由のようです。

若い時からプロ意識が強く頑固な職人風の漫画家に思える(もちろん良い意味で。じゃないと今も現役で漫画描いたりできないと思います)萩尾先生に対して竹宮先生(と増山さん)は1番言ってはいけない事を言ってしまいました。盗作とかあなたの(少年愛)作品は偽物だとか。さすがに創作者である竹宮先生はまずい事を言ったと思ったのか数日後に「あの事は忘れて」と言いにきたのですが、覆水盆に返らず。萩尾先生は健康に害を及ぼすくらい驚き傷つき静かに怒りました。あんなに親しかったのに一切その後の作品を読めなくなった(あの「風と木の詩」さえも)というのが全てを物語っていると思います。

竹宮先生にしてみれば自分の1番好きな「少年愛」のテーマを実力ある萩尾先生に先に描かれてしまうという危機感・焦燥感があったのだと思います。今までは手の内を見せてたけどもうできない、となったのでしょう。お2人共若かったしプライドもあるし、お互いに面と向かって上手く言えなかったのが絶縁状態になってしまった理由かと。

読者にしてみればヨーロッパの少年愛や男子寄宿舎が舞台の素敵な漫画を2作(トーマの心臓・風と木の詩)も読めて(設定は似てても中身は全然違う。でも感性が似ているお2人だったのか偶然似ている部分もある)幸せ〜!なのだけどご本人達にとってはそんな単純な話ではなかったのですね。テーマが被ってしまった場合、食うか食われるかのシビアな世界だったと思います。竹宮恵子先生は「風と木の詩」に漫画家生命を掛けていたようですから。

才能あるお2人が決別してしまったのは残念だけど2人とも充分に成功しているので周りはもうそっとしておくしかないですね。しかし24年組を代表する作家のお2人と親しく両方のアシスタントをしていた方々は相当気まずかっただろうし、「どっち派?」みたいに思われて気疲れしただろうなあと推察します。何があったとしてもお2人の作品がこれで色褪せるという事は一切ありません。創作物じゃなく生身の人間関係は色々難しい事が起こってしまうのは仕方のないことだもの。

萩尾先生のクロッキー帳から抜粋されたイラストはとても美しいです。本の内容が重いだけに優しいイラストに癒されます。

15

本当に失礼だと思うんですが……

「青春小説みたい……」というのが読後すぐに思ったことなんです。
あ、あと『火の鳥 鳳凰編』を思い出したりした。
いや、どっちがどっちっていう訳じゃないですよ。芸術に身を捧げる若者の生き方の問題というか、そんな事を感じたんですよね。

私、萩尾さんが『あちらの方』と書かれている方の本を先に読んでいたんですよ。
『少年の名は~』ってやつですね。
これを読んだ時に「うわっ、カッコ悪いことが苦手そうな彼女が、よくもここまでモーさまへの嫉妬心を赤裸々に書いたなぁ」と思ったんですね。

萩尾さん側からの大泉エピソードを読んで「なるほどなぁ」と思いましたよ。
『あちらの方』にとっては『自分が過去にしでかした愚かなこと』が『思い出』になりつつある。だから書けたんじゃないかと思うんですね。そして、謝りたいと思っている様に見えるんですね。
でも萩尾さんにとっては過去のことじゃないのね、たぶん。
時空を超えて、その時の絶望感というか「何故?」という想いが溢れてきてしまうんでしょうねぇ……

私も若かりし頃、広義の作家さんになりたいと思っていて、そんな感じの学校に行っていましたので『あちらの方』の気持ちも痛いほど解るんですよ。
自分の天才ぶりに気づかずに黙々と革新的な作品を描いていく萩尾さんのこと、怖かっただろうなぁ、憎かっただろうなぁ。

それは、才能への理解と愛情があったからこそ生まれる感情なんじゃないかとも思うんですけれども……でもその感情をぶつけられた方は、訳が解らないままに筆を折ることを真剣に考えざるを得ないところまで追いつめられてしまう。いや、思い出にはならんよね。許すことなんて出来ないよね。だから『忘れるしかなかった』んだというのも良く解るんですよ。

この辺がね、本当に失礼ながらドラマチックなんですよ。
創作というものの怖さと素晴らしさが詰まっている。

80年代の萩尾さんのお話には、羨望や嫉妬の感情が実に生々しく描かれたものがあると思うのです。
全てを作品に変えて生きて来た人なんだなぁ、と思います。
疵さえも自分の身の内に取り込んでしまうそのあり方は、痛々しくもあり、底知れぬ才能を感じるものでもあり、作品を享受するだけの私は、ただただ首を垂れて感謝するのみであります。

10

「人間関係失敗談」と書いてます

メモ。
今まだ存命されている方の半生の自伝だから、感想はメモ程度。

予告通りの内容で、笑い交じりで書き上げているけれど、
自分自身を俯瞰して内観しながら、書き上げたことがわかる。
反省文を読んでいる気分になってしまう。優しい萩尾先生は、どことなく自虐的。
思い出すことが相当苦しかったんだろうなーと感じる、抑えた控えめな文から苦しみが滲み出ていて、読んで辛い。
著者が辛い部分は、特に淡々としている。
ちょっと面白かったのは、「山岸涼子先生がイタコになる」って章。

漫画家って宙ぶらりんな芸術家で、定義も保障も無い中で作品を産み続ける、大変な仕事なのだということを理解できました。
良い意味でライバルになれなかった出会いだとは思えない。
「いつかまた・・」と、未だ生きているのですから、ほんの少しの可能性を祈りたい
・・でも、読後これだけはファンが願ってはいけない事だと理解しました。
萩尾先生の怒りは冷たくまだ続いている。

ヤオイの「残酷な神」の毒がまだ効いている、と読後に思いましたが、
才能と才能のぶつかり合いの結末は、恋愛の破局とよく似ている。
だから、封印したい痛い傷跡なのだろうと思います。

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★出版元で、憶測に釘。さすが萩尾先生:
出版元の河出書房新社が発売に合わせて発表、https://bit.ly/2Rxn3qf
《なお大泉での日々については、今回、本書に記す内容がお答えできる全てであり、今後も本件について著者取材は一切お受けいたしませんことをご理解賜りますよう、お願い申し上げます。》

6

悲しい本

下世話にも、まったくの好奇心で、「一度きりの大泉の話」を読み、続けて文庫版「少年の名はジルベール」を読んだ。
両著者、竹宮惠子氏と萩尾望都氏は、私のきらめく少女漫画愛読時代を彩った「24年組」と呼ばれる少女漫画家たちの恒星であった。
私は、どちらかというと、萩尾作品に惹かれた。「ポーの一族」「アメリカンパイ」「11人いる!」等々に夢中になった。

いきなり、まえがきに、最近「大泉時代のことを語ってほしい」「大泉サロンのことをドラマ化したい」との申し出が多く入るようになり、断り続けても納まらず、やむなくこの本を出すのだ、ときた。ネガティブでバッドな方向にいきそうな嫌な予感をさせる始まりである。
誠に失礼ながら、私はふだん漫画家さんが書いた文章の本に、読みやすさを期待しない。これまでの経験で思い込んでいる。
案の定、この本は読みづらかった。自伝や私小説ではなく、児童期から、両親との漫画についての齟齬、20歳でデビュー、竹宮さんと同居した大泉時代(萩尾さんはサロンとは書かない)、その後、の出来事・事象が散らされている。読む方は、時間軸を前進したり後退したりさせられてしまう。「少年の名はジルベール」は竹宮惠子さんの生き方を中心軸にした私小説なので読みやすいのだが、「一度きりの大泉の話」は萩尾望都さんの視点で「誰がどうした」「誰がこうした」と周囲の人間が点描されるのが、読みづらい印象を持たせるのでしょう。
あとがきで、別の方が萩尾望都さんをインタビューし、更に散文形式に再構成したものだとわかった。
嬉しいのは、初期作から「トーマの心臓」の頃までのクロッキーブックと、イケダイクミさん原作の漫画「ハワードさんの新聞広告」の掲載のサービスだ。また、この本は、実名で登場する人々と、作品(には掲載年・掲載誌)に、全部注釈が付いているのが、大変助かった。
(私は城章子さんの漫画が好きだったので、萩尾さんのマネージャーに専業されたと知り、残念だった。)

大泉時代とは、萩尾望都さんと竹宮惠子さんが、大泉の長屋でルームシェアしていた2年間のことである。
ずばり書くと、竹宮惠子さんの「少年の名は~」で、編集者のYさんに言われた「絶対にやめたほうがいい」「一つ屋根の下に作家が2人いるなんて聞いたこともないよ。とんでもない話だ」の予言は、当たったのだった。

青春は残酷だ。
楽しいことはたくさんあった。(事実、漫画家同士の「誰と誰が来た」「誰と話した」「誰にこういう本を勧められた」等々、漫画家同士の交流の記述は「少年の名は~」より多い)いろいろな出来事が昨日のことのように、自分の中で輝く。辛いことだって確かにあった。しかし立てられた爪痕もまた鮮やかだ。
大泉時代の終焉は、萩尾さんの中で、まだ鮮やかな赤い血を流し続けている。「忘れよう、忘れよう」としてきたことを、なぜ詳しく知らぬ人々が、「大泉サロン=少女漫画家のトキワ荘」と持ち上げ、かさぶたをはがそうとするのか?
本書は、怒りがにじみ、悲鳴を上げ、慟哭にむせんでいるようである。
竹宮さんが「少年の名は~」で一行で書いたことを、萩尾さんは考えた。「忘れよう、忘れよう」と思いつつ考えた。「『近寄るな』ということらしい」「私は死体と暮らしている。誰の死体?~大泉の死体です。」……。辛い作業だ。そして関係は絶たれた。

2020年に笹生那実さんの「薔薇はシュラバで生まれる」が出版された。自作漫画を描きながら、24年組世代の少女漫画家さん達のアシスタントをして回った時期の、その「シュラバ」のエピソード等を連ねたコミックエッセイである。あとがきで、笹生さんは本書のネームをすべての各先生方に送ってチェックしてもらったという。大変な作業だ。が、これでお互い記憶違いのない本が出来る。
漫画家とアシスタント、上下関係だからというのはあるかもしれない。しかし、お互いがまだ生きている人間の登場するノンフィクション作品を書くとき、この姿勢は、とても大切なことだと思った。
これはもしもだ。もしも竹宮惠子さんが「少年の名はジルベール」を書く前に、「自伝に萩尾望都さんのことも含め大泉時代のことを書こうと思う」と、萩尾さん側に一報を入れていれば、萩尾さんは「私のことに関しては一切触れないでください」と伝えられたのではないか。そうしたら、萩尾望都さんはこんな悲しい本を出さずに済んだのではないだろうか。

(このレビューは、竹宮惠子さん「少年の名はジルベール」の私のレビューと、対のつもりで書きました。)

3

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